『巨人の星』の主人公の名前が「飛雄馬」になった「深すぎる理由」

梶原一騎が描きたかったもの
1966年から連載がスタートし、日本中でブームを巻き起こした名作『巨人の星』。野球漫画、スポ根漫画の代表作として、今でも多くのファンに愛されている。そんな『巨人の星』の知られざる誕生秘話を、新刊『「週刊少年マガジン」はどのようにマンガの歴史を築き上げてきたのか? 1959─2009』から抜粋して紹介する。
 

ついに放たれた豪速球『巨人の星』

いくらマンガに疎くても、昭和生まれで『巨人の星』というタイトルを聞いたことがない人はいないだろう。

読売ジャイアンツがV9(日本シリーズ9連覇)を達成した昭和40年代に連載され、この作品から“スポ根”(スポーツ根性もの)という言葉が生まれた。江口寿史をはじめ、後に多くのマンガ家にパロディの餌食にされたのも、「誰もが知っている名作」だからに他ならない。

読売ジャイアンツ9連覇の立役者の一人である長嶋茂雄(右)[Photo by gettyimages]

1965(昭和40)年の夏、「8マン事件」と「W3事件」で創刊以来の危機を迎えた「少年マガジン」第3代編集長に、30歳になったばかりの内田勝が抜擢された。この若さは当時としても異例で、社内最年少の編集長だったという。同時にマンガ班チーフに任命された宮原照夫もまだ20代の青年だった。

8月に恒例の新年度方針会議が開かれる。編集長に就任したばかりの内田とともに宮原も参加し、新年度(66年)に連載予定のマンガを発表した。それを聞いて野間省一社長が口を開いた。

「このプロ野球全盛時代に、野球マンガがないのはどうしてか?」

内田と宮原が言葉に詰まっていると、椎橋久局長が「社長のおっしゃるように野球マンガは絶対不可欠。現在、すごい野球マンガを企画準備中です」と慌ててフォローした。

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