脳卒中で倒れた実業家が、障害を抱えても戻りたかった場所とは?

出口治明が語るAPUの魅力

脳卒中で倒れ、歩くことも、言葉を発することもできなくなってしまった出口治明氏。それでもなお、悲観的になることなく「立命館アジア太平洋大学(APU)」の学長に復職するため、チャレンジを続けようと考えたのはなぜか?
後遺症で言葉はほぼ話せず、食事やトイレも介助が必要だった出口氏が復職したいと強く望んだのには、ある理由があった。

「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」

僕は学長の仕事に復帰したいと強く望みました。だからリハビリ専門病院への転院にあたっては、将来的な目標として「講演できるようになりたい」「一人で生活できるようにしたい」と伝えました。

これらの目標はたとえであって、要するに、復職するにはそうしたことができるようになる必要がある、という話です。

今だからこそ言えるのですが、リハビリ中はなぜか僕の青春、学生時代のことを思い出しました。

僕が大学2年生だった時、校舎の壁には「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と書かれていました。ダンテの『神曲・地獄篇』の一文です。学生運動が盛んだった時代です。度肝を抜かれると同時に、「しかし、この世のリアルとはまさにそういうものではないだろうか」と思いました。ここでいう「希望」は「幻想」と言い換えてもいいかもしれません。この言葉を思い返すたびに「人生を、世の中を、リアルにみろ」と言われているような気がしたものです。そうした視点を獲得するために欠かせないのが「知識」だということです。私たちは学び続け、知識を獲得することで、思い込みの世界から脱することができるのです。

ダンテの『神曲・地獄篇』では人間の毒の部分がしっかりと書かれているからこそ、最高に面白いのです。脳卒中を経験した僕は、あえて人間の毒だけではなく予想もしなかった障害という人生の毒も受け入れようと決意し、そのうえで知識の大切さを再認識しました。

 

人種の「るつぼ」と化したキャンパス

脳卒中で右半身の麻痺と言葉の障害が残り、食事やお手洗いへ行くのも介助が必要で、自立した生活もできない状態だった僕が、なぜ復職を目指したのか。それを具体的に説明するには、まず立命館アジア太平洋大学(APU)がどのような大学であるかについてと、新型コロナ禍で受けたダメージ、及び僕の役割について触れなければなりません。

古来より温泉で知られる大分県別府市の十文字原[じゅうもんじばる]という山の上に、APUのキャンパスはあります。

キャンパスからは別府湾と別府市街、温泉街が一望でき、その向こうには太平洋が広がっています。別府の市街地まではバスで40分以上かかり、学生はキャンパス周辺を「天空」、親しみを込めて市街地を「下界」と呼んでいるようです。

はじめてAPUに来た人がまず驚くのが、留学生の多さです。

APUには2022年5月1日時点で大学院生を含め5643人が在籍し、そのうち留学生が2567人。学生の約45%が海外からやってきているのです。学生の出身地も94ヵ国・地域にのぼります。

ですから、キャンパスの風景はまさに「若者の国連」「小さな地球」です。僕も情報としては事前に知っていましたが、はじめてAPUを訪れた時、いざ目の前の光景として見ると、その多様性に圧倒されました。

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