2022.08.04
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御巣鷹山の日航機123便―“身元確認班長”に任命された男性の記録

墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便(1)
あの8月12日から37年​……。
乗員乗客524人中520人の命が奪われた日本航空123便の墜落。単独飛行機事故では世界最多の死者となった。夏休みで帰省する家族が多く乗った羽田発伊丹空港行きは、群馬県・御巣鷹山(おすたかやま)の尾根で発見される。
著者の飯塚訓(いいじま・さとし、当時48歳)は遺体確認捜査の責任者として、127日間にわたりその悲劇の真っただ中にいた。すべてのご遺体を遺族のもとへ。その一心で団結した医師や看護師、警察官たち。だがそこには誰も味わったことのない極限状況があった──。
いまなお読み継がれる『新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』。いつの世も数字だけでは伝えきれない、悲嘆、怒り、そして号泣が止まらない記録を特別掲載する。
第1回目は、墜落現場の発見から始まる。4名の生存者が確認され、ほかにも生存者がとの期待が広がった。しかし一同、それで改めて事故の悲惨さを噛みしめることとなる……。*掲載記事に登場する人物の肩書・年齢は当時のものです。

『新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』に寄せて

1985年(昭和60年)8月12日。

群馬県の南西部に位置する「上野村」の御巣鷹山の尾根に、日本航空機123便が墜落し、 なんの覚悟も準備もできないまま、 520の無辜(むこ)なる魂が一瞬にして生命を奪われた。

窓という窓を黒い幕で覆った体育館の中で、汗みどろで作業をつづける医師、看護婦、警察官らの集団。

『新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』より

おびただしい数の死体が放つ悪臭と、もうもうと漂う線香の煙。

時折、館内の喧噪をつんざいて走る女の悲鳴、号泣、そして叫喚の声。

まさしく地獄絵図としかいいようのないおぞましい光景が……。

私は遺体確認捜査の責任者として、夏から冬に至る127日間にわたり、身元確認作業に従事した。「人生観が、変わった」「価値観が、変わった」。あの体育館の中で極限の労苦を共にした医師、看護婦、警察官らは、一様にこういう。

当時、私は48歳。人間の生と死について初めて真剣に考えた。生きることの大切さを実感した。「幸せとは……」「家族とは……」と自問した。あの日航機事故はその後の私の人生にも少なからず影響しているといっていい。

この本は36年間の警察官人生を卒業した年(1996年)に書きはじめ、2年後(1998年)に刊行した。

 

遺族の極限の悲しみが集約された体育館の中で、各々の職業意識を越えて、同じ思いで同化していった1つの集団の記録を残したかった。「単独飛行機事故では世界最大」などという恥辱的な見出しの下に、死亡者の人数や自衛隊員、警察官、医師などの大量動員数を並べたてても、真実は伝わらず、また残らない。情報というのは、悲しみとか、怒りとか、汗や涙がしっかりとこもっていなければならないと思い、この本を書いた。

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