仲代達矢、齢90を目前に主演舞台に立つ…「役者ほど厄介な商売はありません」

これが最後の舞台になるかもしれない…

亡き妻のためにも演る

撮影/半沢克夫

仲代達矢が主宰する、俳優を育てるための私塾「無名塾」は、岡本(東京・世田谷区)の住宅街にある。そこで7月初旬、舞台『いのちぼうにふろう物語』(9月4日~10月10日、石川県七尾市の能登演劇堂にて上演)の稽古が始まった。

演出家の林清人と主演の仲代を、約20人の役者が取り囲む。座りながら行う台本の読み合わせを約1ヵ月、そのあとに立ち稽古を約1ヵ月続ける。取材に訪れたのは、読み合わせがスタートして7日目の日だった。

今年12月で90歳になる仲代が、ドスの利いた声でセリフを口にする。

「久しぶりに娑婆(しゃば)に帰ってきたとき、俺が昔、ボロ切れのように捨てた女が子供を産んで、その3つになる娘が私を待っていました。それ以来、私は人間が変わったつもりでいます。今まで嫌ぇだった人間ってものが、何かこう、いじらしいものに見えてきたんですよ」

彼が演じるのは江戸時代、密貿易の拠点でもあった一膳飯屋「深川安楽亭」の主人。そこには、ならず者たちがたむろしているのだった。

 

稽古が進む中、演出家の林が役者に注文を付け、仲代もこう助言した。

「自分のセリフをただ喋るだけじゃなくて、相手のセリフを受ける瞬間をもっと大切にしてほしい」

「今のセリフには、その男のニヒリズムが漂っているはずだから、それを探って」

稽古は途中休憩をはさんで約5時間続き、そのあいだ仲代が集中を切らすことはなかった。彼は言う。

「やっぱりこの年になると、どうしたって老いは感じます。でもね、今、そんな私を無名塾の若い役者たちが支えてくれています」

彼がこの塾を発足したのは1975年、42歳のときだ。妻の恭子(やすこ)が共同で主宰を務めた。恭子はかつて女優として活躍したが、1957年に仲代と結婚したのを機に女優業をやめ、その後、隆巴(りゅう・ともえ)の名で脚本や演出を手がけるようになっていた。

「今の稽古場は1994年に完成し、2階に私たち夫婦の自宅を造りました。その2年後に恭子は亡くなった。膵臓がんでした。私は塾を閉めようと思いましたが、彼女の『無名塾だけはなくさないで』という遺言に発破(はっぱ)をかけられ、今の自分があるわけです。塾をやめていたら、この年まで現役で役者を続けることはできなかったと思いますから。塾があることが、私の精神的な支えになっているんです」

稽古場には妻・恭子の写真が飾られている。撮影/半沢克夫

現在稽古中の舞台は隆巴が脚本を書き、これまで無名塾で2度上演している。

「どうしようもない若者が集まる安楽亭を舞台に、彼らがある人を助けるため、命を賭けようとする。言ってみれば人間愛に満ちた物語です。

芝居はお客さんに向けたものですが、今回は隆巴のためにも演(や)りたい。私にとって最後の舞台になるかもしれないから、隆巴のためにどうしてももう一度演っておきたかったんです」

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