「オヤジ」と慕われた根本陸夫…ゴルフ界まで広がる「根本人脈」とは

プロ野球・裏面史探偵(20)

前回の記事『野球をやってなければ「ヤクザの親分」に?「球界初GM」根本陸夫の知られざる過去』で球界のフィクサー・根本陸夫の青年時代を振り返った。

今回は、父・時之介への思い、少年時代の葛藤からはじめる。

父・時之介から受け継いだもの 

根本の父・時之介は茨城県石神村(1955年3月31日、村松村と合併し東海村が発足)の村長で、原子炉の導入を進めた人物と言われている。

時之介とは、いかなる人物だったのか。

「確かに新しいことにすぐ興味を持つ人ではあったね。汽車会社、軽便鉄道を経営し、後にバス会社に転じた。他に山で採石もやっていたね。大正末期から昭和の初めにかけての話ですよ」

――事業はともかく、原子力発電所といったら反対する空気も強かったのでは?

「いや、まったくなかった。無知な時代だったからね。だから(原子力)研究所の設立というのは非常にラクに進んだ印象がある。ぼくの記憶だと、世間がアイソトープ問題に興味を持ち、危険視し始めたのは、四條畷に原子力発電所をつくる計画が立てられ、それが反対されて和歌山に移ったころじゃないかな」

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――漏れたら危険だぞと。

「そうそう。ぼくはオヤジに対してこう言ったことを覚えている。“アンタは喜んでやってるけど、将来はうらまれるよ”って。研究所をつくったところで、村として発展する保証は何もない。むしろ敬遠されるでしょう。最初からそんな気がしていた」

――父親が東海村の原子力発電所の基礎をおつくりになられたように、根本さんは西武ライオンズの基礎をつくられた。奇妙な因縁を感じることはありませんか。

「さぁ、どうだろう。まぁ、いろんな新しい物に興味を持つという点では、オヤジの血を受け継いでいるのかもしれないけどね。ただ、ぼくは12までしか家にいなかったので、オヤジの本当の姿というのはよくわからない」

――資料によると腕白がたたって父親に勘当されたと書いてあります(笑)。

「それもウソだな(笑)。ぼく自身、柄のいいタイプじゃないから、想像で書かれるんだろう。事実を言うと、当時、田舎には小学校や中学校が少なかったので、学校に行きたい子は、皆、都会に集まってきたんだよ。大人数で下宿生活を送っていた。ぼくらはそういう環境で人間形成された。必然的に人間関係も生まれていった」

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