ロシアのウクライナ侵攻が始まってから、8月で半年。いまだ解決の道筋は見えない。7月31日にはプーチン大統領は「海軍の日」として海軍の立場を強化する演説を行った。広島・長崎に原爆が落とされてから77年になる今、改めて核の恐怖や戦争による被害の大きさも見直す必要がある。

日本にも、これまでに1600人を超えるウクライナからの避難民が入国した。日本財団は、身元保証人のいる避難民に、渡航費や生活費などの支援をしており、対象を合計2千人に増やすと決めた。29日に会見が開かれ、ウクライナからの避難民と身元保証人が体験を語った。その体験談や、避難民へのアンケート調査からは、言葉やメンタル、居場所の悩みが浮かび上がった。ジャーナリストのなかのかおりさんがリポートする。

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子どもと避難、手探りの生活

ナタリアさんは、3歳と6歳の2人の子を連れて3月末に日本に避難してきた。電車でワルシャワに出てビザをもらい、地元を出てから1週間かかって日本へ。

「戦争が始まる前、国外用のパスポートが期限切れで、更新されないうちに避難することになり、子どもたちは出生証明書しかなかった。でも受け入れてもらって感謝しています」

会見に出席したナタリアさん 写真提供/日本財団

ナタリアさんは、神奈川県に住むことになって、最初はとまどった。環境が変わり、日本語ができない。知り合いもいない。でも、子どもたちを育てる責任がある。子どもたちが何を失ったのか、落ち着いて考えると、「友達」「趣味」「住む家」の3つだった。

「子どもたちを、学校や保育園に入れることにしました。言葉ができなくても、手振りでコミュニケーションを取って、友達ができるのではと思いました。長女は、ウクライナで乗馬やダンスをしていました。いろいろなアドバイスをもらって、今は体操教室とプールに通っています。

私は、日本に住むウクライナ人のおばを頼って来ました。スーツケース一つで来て、子どもたちの机や持ち物が増え、私たち家族で住みたいと思っています。公営住宅は地元になく、転校するとまた子どもにストレスがかかります。日本財団の援助を受け、近くにアパートを借りたいです」

ナタリアさんは、子どもたちがまだ小さく、日本語を学ぶのも、仕事をすることも難しい。多くの避難民は身元保証人がいるが、保証人も生活にゆとりがあるわけではなく、迷惑をかけられないという思いもあるようだ。