2022年の夏もまた、痛ましい虐待死事件が相次いでいる。2歳の1歳の幼い姉弟が灼熱の車内に置き去りにされて亡くなった事件、2歳の孫をベビーサークルの中に置き去りにしたままテーマパークに遊びに行き、死亡させた事件……。
乳幼児ばかりではない、2020年6月に京都府で起きた、父親による姉弟虐待事件では、父親が「しつけ」と称してひどい暴力を日常的にふるっていた。床に投げつけ骨折させられた9歳の長男は裁判で、「お父さんに長く牢屋に入っていてほしい」と口にしたという。子どもが虐待に苦しまず、笑顔でいられる社会、親も虐待などせずに笑顔でいられる社会にするにはどうしたらいいのか考える必要がある。

若林奈緒音さん(仮名)は幼いころから母親からの暴言、暴力、過干渉に遭ってきた。暴力が始まったのは小学生のころ。母親が自分の夢だったバレーボールの選手にさせるために骨折してもコートに立たせたり、バレーボールをやりたくないというだけでひどい暴力をふるったりした。母親は中学卒業後に進学を許されず、家を支えて若くしてお見合い結婚をし、我慢ばかりの人生だという。そしてそのうっぷんはすべて長女の奈緒音さんに向かっていた。男女交際についても激しく反応し、部活と偽って彼氏と一緒に家に帰っているところを見た後、瓶が入っている買い物袋で顔を殴りつけもした。若林さんの顔は手術で直さなければならないほど歪んでいた。そして今も手にケロイドの跡がある。その頃の母の暴力の痕だ。

自分のような人を出したくないと虐待の実態を綴っている連載「母の呪縛」、10回目は母親から逃れるため、自立を目指した高校3年生のときのことをお伝えする。

若林奈緒音さん連載「母の呪縛」これまでの記事はこちら
 

「早く自立しよう」

「家にいる限りは、親の言うことが絶対。嫌なら家を出て一人前になるしかない」
母親からジャムの瓶が入った買い物袋で顔を殴られ、ボコボコにされた高校1年生のあの日。父からこう言われたひと言で、私は心底理解した。

この状況から抜け出すには、早く自立するしかない。早く家を出るしかない。

それからというもの、高校卒業と同時に家を出る事だけを考えていた。

兄は学校ナンバー1の成績でも大学進学を許されなかったが、実は母からは進学を勧められていた。ただしそれは「看護学校」に限ったことで、母は私がバレーボールの選手にならないのなら看護師になれ、と幼いころから言い続けていたのだ。
高校受験でもバレーボールの強豪校か、怪我をしてダメなら看護学校と言い続け、私の意思をまったく無視していた。
しかし、私はバレーボールの選手にも看護師にもなりたいと思っていなかった。さらに学校で一番の秀才で、進学を希望しても許してもらえなかった兄のことを考えても、高校卒業後、進学しようという頭は一ミリもなかった。

バレーボールのコートでコーチをしていた母から若林さんだけひっぱたかれ叱責されることもあった Photo by iStock

こうなったら母には内緒でお金を貯め、一日でも早く家を出られるようにするしかない。
とにかく早くお金が貯まる方法を探した。お昼ご飯代もできるだけ使わないようにし、アルバイトにも励んだ。私はその頃は家で掃除洗濯皿洗いをほぼ任されていた。アルバイトやデートなどはもってのほか、母からは、私でなければ家の事は誰がするんだというプレッシャーがあった。お金の面では何不自由させていないのに、アルバイトに行くとは何事かという考えだったのだろう。働きたくなくても働かされて、高校に行けなかった母からしたら、高校に行かせてもらえているにもかかわらず、バイトしたいという私のことが理解できない、何一つ言うことを聞かない、親にたてついて何考えているのだという感覚だったと思う。

だから家事をきちんとできるよう、週末や祝日だけのアルバイトしかできなかった。