幼少期から母親の暴力・暴言・過干渉に苦しんできた若林奈緒音さん。自分のように苦しむ人を出したくないと、辛かった過去を連載「母の呪縛」で綴ってくれている。

自分のなりたかったことを奈緒音さんに託そうとする母は、奈緒音さんが嫌だというと暴力や暴言をふるった。男女交際は一切禁止。高校1年生のときに彼氏とともに街を歩いているところを母に目撃され、顔が歪むほどの暴力を受ける。そのときに父が言ったのは、「家にいる限りは、親の言うことが絶対。嫌なら家を出て一人前になるしかない」という絶望的な言葉だった。

一日も早く自立して家を出たい。そう考えた奈緒音さんは、高校3年生になると具体的な「自立計画」を立てる。前編「母から逃れる唯一の方法…暴力と過干渉に苦しむ女子高生が計画した「自立の道」」ではその具体的な手順をお伝えした。まずは身分証明になる運転免許をとり、家を借りたい。さらに生活周りのものを購入して一人暮らしを一日でも早くしたい。そのために200万円を目標としてお金を貯めた。お昼代を節約し、週末や祝日のアルバイトでコツコツ貯金をしていたが、18歳になった夏休みからは、喫茶店のアルバイトよりも時給の高い職種に就き、家を出るという目標のために必死で働く。もちろん、貯めたお金は絶対に母に見つからないように隠して――。

「母の呪縛」10回の後編では、自立の一歩である就職活動からさらにお伝えしていく。

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真っ先に内定を取り、学校の先生も味方につけた

2学期がスタートして直ぐに就職試験が始まった。絶対に早く内定を取る闘志に燃えていた私は、1社目でアパレル会社の内定を取ることができた。
採用人数若干名の求人に、応募は600人を超えていたらしい。しかも高卒と大卒は一緒の試験だった。集団面接のあと、休憩をはさんで質疑応答。私はいの一番に質問をし、積極的にアピールをしたのだ。就職試験のあとにそれを学校の先生に報告に行くと、「おお、一番に質問したのか! それはやったな! きっと大丈夫だ」と言ってくれた。

 

担任の先生は、三者面談で母と私のいびつな関係に気づいていた。優秀な兄は学校で有名だったから、母は学校で顔が知られた存在だった。その上で私への態度は兄への態度とは明らかに異なっていたし、三者面談では私の意見を一切聞かずに看護学校を受けさせるなどと言っていた。先生が訝しく思うのも当然だった。

通っていた学校は商業高校だったから、内定さえとれば学校としてはなにも文句はない。あとは卒業できる単位をきちんと取りさえすれば、学校に行かなくてもよかった。私は先生に必要な単位数を聞き、それ以外はすべてアルバイトに充てようと思った。幸い、それまで真面目に試験を受けていたことも幸いし、バイトにかなり集中することができた。

そして、冬休みに入る頃には自動車教習所に通う金額が貯まったので、自動車教習所にほぼ毎日通って運転免許証を手に入れた。これで親の扶養家族としての保険証以外の身分証明書ができた。その免許証を持って不動産屋さんを回り、実家から二駅離れた場所で、貯金で敷金礼金が払えるマンションの契約までこぎつけた。後は、保証人欄に親のサインをもらうだけ。

運転免許証は運転をしたいというよりも身分証明書のためだった Photo by iStock