2022.08.24
# マンガ

“床上手”な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために「意外なモノ」を食べていた…!

江戸時代の「遊廓」は、“非日常の世界”を演出し人々を魅了した――そこではどのような“日常”が繰り広げられていたのだろうか。「モーニング」で連載中のマンガ『吉原プラトニック』は、食をテーマに吉原の遊女たちの日々の生活に焦点を当てた意欲作だ。本記事では、マンガの企画・原案を手掛ける藤川よつ葉さんが、江戸・吉原の遊女らが夢中になった「ある食べ物」について紹介する。

『吉原プラトニック』(漫画/オキモト・シュウ、企画・原案/ 藤川よつ葉)
【『吉原プラトニック』はどんな話?】二次元=浮世絵を愛するヲタク侍・貞近。生身の女性を克服させようと父親が考えたのは、浮世絵に描かれた吉原の売れっ妓(こ)花魁・紫太夫に手ほどきをさせるという突拍子もない策だった。おびえる貞近だったが、ひょんなことから振舞った手料理に紫太夫はすっかり胃袋を掴まれてしまい……。

「吉原」までの道のりが長すぎる!

令和の現在も「繫華街」と称される、ナイトワークと寄り添うエリアの傍らには、おいしい食べ物がある。

例えば、日本を代表する繫華街のひとつである東京・銀座には高級クラブを筆頭に、会員制バーやスナック、カラオケバーなどが数多く点在し、その点を繋ぐように、同伴で人気の高級和食店から、ビルの狭間で販売するおいしいパン、鰻の寝床のような餃子屋、朝までやっているラーメン屋、料理のおいしいワインバー、それにクラブにもデリバリーしてくれる名物サンドイッチやフライのお店など、あげればきりがないほど、目的用途に合わせたグルメが存在している。

その理由は、夜遊びの前後の腹を満たすためだけではなかろう。食べ物というものは、そしておいしいという感情は、今も昔も男女の距離をぐっと引き寄せ、囁く言葉を滑らかにしてくれるからだ。

そして令和から五つの年号を遡った江戸期、元和四年から始まったとされる、江戸唯一の幕府公認の遊郭「吉原」にも、花街らしい食べ物が数多くあったという。

『吉原プラトニック』より

江戸っ子男子に生涯で一度は拝んでみたい、いやできるなら登楼してみたいと言わしめた花街・吉原。

そんな吉原遊郭があったロケーションは現在でいうと、東京を彩るアイコンのひとつである浅草寺の裏あたりの少し静かなエリア。

なかなかの都心部に思えるが、江戸時代のこのあたりは北の外れの湿地帯。夜の帳が降りれば追い剝ぎに遭遇してもおかしくないほどのさみしさで、辺り一面葦(※読み方:アシ/イネの仲間で大きいものは5mほどまで伸びる植物)が生えていた荒れ地で、人が行き交う中心街からは遠く外れたエリアであった。

なので、吉原遊郭に行くまでは徒歩はもちろん、舟で向かっても駕籠で向かってもなかなか時間がかかる。そして時間の分だけ腹が減る。

そこで発達したのが吉原大門手前一帯に連なる茶屋や、門を入ってからのメインストリートである仲之町に点在した担い売り(※移動式の屋台で営業する食べ物売りのこと)。

 

彼らが売る蕎麦や天ぷら、鰻などは、長い移動で疲れた身体をパッと癒せるファースト・ハイカロリーフードとして人気を博したそうだ。

もちろん、それは行きの道だけのことではない。翌朝早く、門の中の観音様との逢瀬を堪能した、名残惜しい帰り道。さみしい気持ちと体力回復にと、近隣の茶屋や煮売り屋で少し腹に溜まるものを食べて帰る者も多かったという。

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