1945年8月15日、多くの被害者を出した第二次世界大戦は、日本のポツダム宣言受諾と共に終戦を迎えた。それから77年。現在、ロシアによるウクライナへの侵攻が開始されてから半年以上が経過した。第二次世界大戦の記憶は、いま世界に何を伝えるのだろうか。

被爆者の平均年齢は84歳を超えたという。その悲劇を実際に体験した方の言葉は、直に聞くことが叶わなくなっている。そんな中、2022年4月に『降伏の時 元釜石捕虜収容所長から孫への遺言』が刊行された。

著書は稲木誠さんと小暮聡子さん。1988年に他界した元釜石捕虜収容所長と、その孫娘であり現在『ニューズウィーク日本版』の記者である。77年の時を経て、亡き祖父と孫が「戦争の記憶」を伝えるこの一冊は何を伝えるのか。祖父の稲木さん、孫の小暮さんそれぞれの文章をご紹介していく。

『降伏の時』という共著を出した稲木誠さん(写真中央)と初孫の小暮聡子さん(写真左)写真提供/小暮聡子
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大好きなおじいちゃんが「戦犯」だった?

小暮聡子さんは、高校生のとき、過去に祖父がBC級戦犯とされた事実を知ったという。
知るきっかけとなったのが、記者だった祖父の稲木誠さんが1984年、『週刊時事』(時事通信社)にて連載した「フックさんからの手紙」という記事だった。そこには、稲木さんが岩手県釜石市の連合軍捕虜収容所の所長を務めていたこと、暴力をふるわず、捕虜の管理に真摯に向き合っていたこと、それでもBC級戦犯として有罪とされ、巣鴨プリズンに5年間拘禁されていたことも綴られていた。

小暮さんの母が渡してくれた「おじいちゃん」の手記「フックさんからの手紙」 写真提供/小暮聡子

大好きなおじいちゃんが「戦犯」だった――その衝撃が、小暮さんのその後の人生に大きな影響を与え、戦争について調べ、伝え続ける活動につながった。祖父が書き残した「降伏の時」という原稿用紙132枚のノンフィクションを祖父の書斎机から見つけたのは大学生の頃。そこには1945年8月15日から9月15日までの1ヵ月の間に、収容所の所長として捕虜を無事に帰国させるまでのことが詳しく綴られていた。小暮さんは現在ジャーナリストとなり、元捕虜だった方々へのインタビューを続け、20年の時を経て「降伏の時」を『ニューズウィーク日本版』ウェブサイトに掲載。岩手県のみなさんにも知ってもらいたいと岩手日報社の読者センター宛てに記事のリンクとメールを送ったことで、その記録は岩手日報紙でも16回の不定期連載で掲載されることになった。

小暮さんが大学生のときに見つけた、「おじいちゃん」の132枚に及ぶ手記 写真提供/小暮聡子

話はこれでは終わらない。アメリカやオランダの元捕虜の家族との交流を続ける小暮さんは、「降伏の時」「フックさんからの手紙」を、自身の「現在の取材」と合わせて、今年4月に岩手日報社から1冊の単行本として刊行した。それが『降伏の時 元釜石捕虜収容所長から孫への遺言』なのだ。77年の時を経て、この世に誕生した祖父と孫の共著。そこには国境と時間を超えた「戦争の記憶」が詳細に綴られている。

終戦記念日にあわせ、本書より祖父と孫がそれぞれ伝えたことを再編集の上、抜粋して紹介する前編は、稲木誠さんが1984年9月15 日号から『週刊時事』にて連載した「フックさんからの手紙」をご覧いただこう。

(以下、稲木誠さんの手記)