2022.08.18
# 企業・経営

研究者志望のはずがドラッグストア日本一へ。北海道企業・ツルハHDが強いワケ

ニトリ、ツルハ、DCM…トップ企業が続々出現 北海道企業はなぜ強いのか(2)
いま、「北海道企業」が続々日本の小売り業を引っ張る位置に躍進している。ニトリ、ツルハ、DCM…なぜこれほど、北海道から「強い小売り企業」が続出するのか。北海道新聞経済部長を務め、長年業界を取材してきた著者が、その秘密に迫る著書『「北海道企業」は、なぜ強いのか』より抜粋してお届けします。
第2回は、ドラッグストアの『ツルハHD』です。

いまやドラッグストアのトップランナーになったツルハHD。その歴史は1929年(昭和4年)5月、鶴羽勝氏が旭川市内で開業した薬局『鶴羽薬師堂』(56年に『ツルハ薬局』に商号変更)に始まる。

同社の経営は、勝氏が死去した77年に2代目社長となった次男・肇氏(1932 ‒)=現ツルハ名誉会長=、97年に3代目社長に就いた三男・樹氏(1942 ‒)=現ツルハHD会長=の兄弟へと引き継がれた。

2014年に4代目社長になった堀川政司氏(1958 ‒2021)を挟んで、20年には樹氏の次男・順氏が5代目の社長に就任し、現在に至っている。

典型的な同族経営に見えるが、その企業文化を語る上で重要なのは、肇氏も樹氏も自ら進んで後継者の道を選んだわけではなかったことだ。

ツルハHD現社長・鶴羽順氏

肇氏は京都大学医学部薬学科(現薬学部)を卒業した秀才で「本当は大学に残って研究を続けたかった」。家庭の事情で後継ぎになったものの、しばらくは自分が歩むべき人生とはどこか違うとの思いを拭えなかったという。

そんな肇氏に一筋の光をもたらしたのが、弟の樹氏だった。12年刊行の社史『ツルハの80 年』の年表に、こんな記述がある。

《S37(1962) 鶴羽樹、大阪でセルフ方式の薬局を見つける》

当時、大阪商業大学の学生だった樹氏の“発見”が、会社にとっていかに大きな転換点だったかを示すものだ。セルフ方式は、スーパーマーケットのように客が棚にある商品を自由に選び、レジで一括して代金を精算する販売方式を指す。樹氏は後年、その時の驚きを「店にこうこうと明かりがついていて、商品が整然と陳列されている。こんな薬局は見たことがなかった」と述べている。

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セルフ方式なら、従来の対面販売方式のように人手をかけずに品ぞろえを増やし、これまでの“薬屋”とは違う近代的経営ができる。弟を通じてその存在を知った肇氏は、大阪の店を指導していた薬局経営コンサルタントの山口英夫氏に連絡を取り、教えを請ううちに、人生の新たな目標を見いだすことになる。

 

「山口さんは『お客さんには選ぶ権利がある』という理論で、そのころから低コスト、低価格の重要性を主張していた。自分は薬屋のおやじで終わるのかと悩んでいたが、山口さんに出会って『日本一のドラッグストア』を目指すようになった」。肇氏にとって、叶わなかった研究者の夢を吹っ切るには「日本一」という大きなロマンが必要だったに違いない。

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