平日午後、ガラガラのバスの中で起きたこと

ある日の午後、私はベビーカーに乗せた生後4ヵ月の娘と共にバスに乗ろうとしていた。
保育園の送り迎えで毎日同時刻に使う便である。乗客は決まって10人前後しかいない。この日はとりわけ空いており、前方の優先席付近に2人、後方の座席エリアに3人が座っているだけだった。

ベビーカーに乗せたままだと娘が泣いてしまう可能性があるため、片手で抱っこし、片手でベビーカーを操縦しながらバスに乗り込む。車体の中腹程度にある専用座席にベルトで後ろ向きに固定し、私たちは座席に座った。活発に動き回る7kgの赤ちゃんを抱えながら、10kg前後あるベビーカーを畳むのは至難の業である。あらかじめバス会社のサイトで調べたが、国土交通省の定めたルールにより「バス・電車などの車内ではベビーカーは畳まなくても良い(※ただし混み合っている車内では譲り合って使用すること)」と書かれていたので、この日もベビーカーは畳まなかった。

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向かいの優先席には40代と思しき男性が足をどっかりと開いて座っていたが、私の後ろの座席に座っていた白髪のおばあさんが「可愛いわね」と言って娘をあやしてくれていたので、私はそちらに気を取られ、彼の方は見ていなかった。
次のバス停に着いた瞬間だった。男性が突然、立ち上がり、
「おい、バスの中なんだから畳めや!」と叫び、ベビーカーを何度か手で激しく”どついた”。次に「きちんと管理しろよ! 邪魔なんだよ! ブタが!」と叫んでベビーカーに蹴りを入れると、さっとバスを降りて行ってしまったのだ。

突然のことに呆然としてしまい、すぐには動けなかった。彼は長い黒髪にスパイラルパーマをかけ、黒地に柄のシャツを着た男性で、私よりもずっと体格が良かった。もし彼が車内に止まっていたとしても、私は多分、怖くて何もできなかっただろう。普段から「もしベビーカーについて何か文句を言われたら、きちんと説明しよう」とイメージトレーニングをしていたのに、怒鳴られた瞬間、私が咄嗟にできたことは「娘を庇うように体を丸める」、それだけだった。