2022.09.12

明治の小学校でも英語が教えられていた!
はじまりの英語教育とは?

2020年度、小学校で外国語が正式教科になった。英語を小学校で教えるなんて、世紀の大実験が始まったのかのように見えるが、じつはすでに、1872年に、「学制」では、上等小学科(10〜13歳)で地域の実情に応じて「外国語」を教えてもよいとされていた。
そして、1884年に、文部省が「小学校教則綱領」改正で、学校で「英語の初歩を加うるときは読方、会話、習字、作文等を授くべし」と定めている。はたして、この取り組みはうまくいったのだろうか?
(※本稿は江利川春雄『英語教育論争史』を一部再編集の上、紹介しています)

何歳から英語を教えるべきなのか?

英語を小学四年生から教えるべきか、中学一年生から教えるべきか。それが最初の論争テーマだった。
明治の代表的な教育雑誌だった『教育時論』一八八五(明治一八)年八月一五日号の巻頭には「英語を小学科中に加えんとせば高等科よりすべし」という無署名論文が載っている。当時の小学校は三段階に分かれており、初等科が現在の一~三年生(六~八歳)、中等科が四~六年生(九~一一歳)、高等科が中一~中二(一二~一三歳)だった。
記事によれば、当時の茨城県の教育界では、ほぼ全員が小学校英語教育に賛成だった。意見が対立したのは開始学年の問題で、中等科(現在の小四から)がよいか、高等科(現在の中一から)がよいかで論争となったのである。記事は両論を紹介しているので、読み比べてみよう。

内地雑居がはじまると、「外人」に出会うぞ!

まず、中等科(小四)より開始すべきだとする意見では、「今より両三年を出でずして内地雑居の制行われて外人おおいに内地に入り込むべし。したがって内外人かれこれ交通の道を得て僻村(へきそん)陬邑(すうゆう)〔=どんな田舎でも〕至る所外人の足跡を見ざるなきに至らん」と、迫り来る状況を述べる。
キーワードは「内地雑居」で、外国人への治外法権(領事裁判権)を撤廃したのちには、外国人に日本国内での自由な居住・旅行・営業を認めることである。
そこで、「この時に当り交際上の損失を招くなからんことを欲せば、吾人民をしてことごとく英語を語らしむるに如(し)くはなし」と述べている。お隣に外国人が暮らすようになれば英語が話せないと困るので、小学校で英会話を教えるべきだと主張したのである。今日で言う「グローバル化への対応」ということだろうか。

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文明国の英語を普及せよ

しかし、英語教育は単にお隣の外国人と会話するためだけではない。「我国を欧米文明の範囲内に入れざるべからず。しかせんには一日も早く一語も多く英語を内国に導き来らざるべからず」と言うのである。
ここに明治の人々の文明観・国家観がにじみ出ている。日本を欧米並みの文明国に引き上げなければ、欧米列強は不平等条約の改正に応じてくれない。だから文明国の言語である英語を一刻も早く国内に普及させるべきだという主張で、欧化政策にひた走る時代の雰囲気を伝えている。この論文が発表されたころ、日本では「風俗改良」の名の下に洋服などの西洋風俗の受容が進められ、欧化の風潮が広がろうとしていた。

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