2022.09.12

大正時代、中学校英語科廃止論が盛り上がる
「日本帝国の青年としては英語は無用」

大正時代には、日本は欧米列強に並ぶ帝国となって、一等国入りを果たしたと驕るようになる。そうなると、英語(米語)など学ぶのは時間の無駄だという議論が出てくる。
「英吉利(イギリス)か亜米利加(アメリカ)の殖民地の青年ならイザ知らず、日本帝国の青年としては無用な事だと考える」。英語重視の原因は「英国崇拝の弊にある」。海軍少佐も、「米国語の濫用を慎み、国語の擁護を計らなければならない」とまで発言した時代があったのだ。
(※本稿は江利川春雄『英語教育論争史』を一部再編集の上、紹介しています)

遠藤吉三郎の英語科廃止論

大正期の中学校英語科廃止論としては、大岡育造(一八五六~一九二八)が一九一六(大正五)年一〇月五日の『教育時論』に寄稿した「教育の独立(中学校より必修外国語科を除却すべし)」を最初だとする研究が一般的である(高梨・大村一九七五、川澄一九七八、出来一九八二、伊村二〇〇三など)。これらは櫻井役の『日本英語教育史稿』(一九三六)の記述を踏襲したからであろう。
しかし、実は大岡の一年半前に生物学者・理学博士の遠藤吉三郎(一八七四~一九二一)が、中学校と高等女学校の英語科廃止論を展開していた。その論文が「中等教育の英語科の能率」(『大日本』一九一五(大正四)年五月号、六四~七一頁)で、遠藤の『西洋中毒』(一九一六)に再録された。

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カリキュラムのほぼ4分の1が英語に割かれるのは
いかがなものか

遠藤は東京帝国大学大学院を修了後、一九〇七年に札幌農学校(現・北海道大学)水産学科の初代教授に就任。一九一一年にはヨーロッパに留学し、帰国後に『西洋中毒』で痛烈な西洋批判を展開した。一九一八年の北海道帝国大学設立にともない、同学水産専門部教授となった。
遠藤の主張を聞く前に、その前提となる当時の中学校における外国語の比重を見ておこう。週二九~三一時間の総時数に対して、外国語(実質は英語)は必修科目としてほぼ週七時間も課されており、カリキュラム全体の二三%を占めていた。遠藤はこれを問題視したのである。

「日本帝国の青年としては無用」

遠藤の主張は以下の五点に要約できる。

(1)中学校や高等女学校の英語科は多大な時間と労力をかける割には効果が少なく、能率が悪いので、廃止すべきである。「英吉利(イギリス)か亜米利加(アメリカ)の殖民地の青年ならイザ知らず、日本帝国の青年としては無用な事だと考える」。英語重視の原因は「英国崇拝の弊にある」。
(2)日本は「西洋の学術技芸を模倣せんが為めに、久しい間青年の時間と脳力とを犠牲に供した。これ以上は最早(もはや)必要がない」「今は丁度その切上げ時で、更に転じて海外に膨脹する為めの予備教育に全力を注ぐべきである」。
(3)知識増進のために「翻訳機関の設置」を行い、文部省は優良なる専門書の翻訳に力を注ぐ。そのほうが専門用語の訳語が統一され「学問の独立」に寄与する。実業専門学校の授業も日本語で可能である。
(4)英語科の代わりに支那語(中国語)を課せばよい。
(5)「中学の英語科を全廃したならば、五年は四年となる。即ち修業年限に於て二割の短縮が出来る」。

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