2022.08.26

「戦争をナメていた」…日本が敗戦に至るきっかけの一つとなったラビ攻略の失敗、その「ずさんな作戦準備」

ミッドウェー海戦に敗れ、占領して造成したガダルカナル島の飛行場を米軍に奪取され、戦局の雲行きが怪しくなってきたちょうど80年前、昭和17年8月26日。日本側拠点ラバウル攻撃の前進基地にすべく連合軍が完成させたニューギニア東端部・ラビ飛行場占領を目指して敵前上陸した海軍陸戦隊があった。地図も航空写真もなく、敵情もわからないまま上陸した彼らを待っていたものとは――。

<【前編】80年前の今日、事実上の「転進」第1号となったラビ攻略作戦…そのあまりに「お粗末な内容」>に引き続き、ラビ攻略の詳細を語る。

ラビ攻略作戦の陸戦隊で主計長をつとめた門司親徳氏(右写真撮影/神立尚紀)
 

海軍のメンツにかけて

現在、日本陸海軍は、米豪遮断(連合軍の南からの反攻拠点となりうるオーストラリアとアメリカの輸送路を遮断する)のため、ニューギニア東南部の連合軍最重要拠点・ポートモレスビー攻略を最大の目標にしている。ガダルカナル島に飛行場を建設したのも、米豪遮断作戦の一環だった。

「陸軍はすでに、ニューギニア北部にあるブナからスタンレー山脈を超えてモレスビーの背後に迫る作戦を進めている。海軍はこれに呼応してモレスビーを海の正面から攻撃する予定であるが、敵はモレスビーの飛行場のほかに、ニューギニア最東端ミルン湾の奥にあるラビ基地を強化し、防備を固めている。海軍がモレスビー正面から攻撃するためには、このラビ飛行場を攻略し、制空権を握らなければならない、ということだったんですが‥‥‥」

作戦計画によると、呉五特は、藤川薫大尉の率いる佐世保鎮守府第五特別陸戦隊(佐五特)の一個中隊約230名や飛行場の整備にあたる設営隊約250名、飛行場占領後に進駐予定の第二航空隊の先発隊約100名とともに大発(輸送用舟艇)でミルン湾に侵入、夜陰に乗じて上陸し、ラビ飛行場を占領する。北部のブナにいる月岡寅重中佐率いる佐五特本隊(月岡部隊)約350名は、舟艇でラビ北方のタウポタに上陸、山を越えて呉五特に呼応し、ラビ飛行場の背後を衝く、という手はずだった。この作戦は「RTO作戦」とよばれた。

じつは、モレスビー攻略は5月に一度計画されたが、米機動部隊が妨害に出て、日本の空母「翔鶴」「瑞鶴」「祥鳳」と米空母「ヨークタウン」「レキシントン」とのあいだに史上初の空母対空母の戦い「珊瑚海海戦」が起き、日本側は米空母「レキシントン」を撃沈したものの「祥鳳」を失い、上陸作戦は延期されていた。それだけに、今回は海軍のメンツにかけても成功させなければならない。

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