橋下徹が維新でムチャクチャなクーデターを仕掛けた7年前「幻の代表選」の真相を明かす《茶番の8・27代表選を前に》

連載「維新戦記」第4回
衆議院議員・米山隆一氏は、新潟県知事を務める前の2012年から2015年にかけて、日本維新の会に所属し、衆参選挙を戦った過去がある。今回、維新が行う代表選を機に、彼がみた「維新」の本質を詳細に明かす。衝撃の手記、第4弾。
連載第1回(前編後編)、第2回第3回もあわせてお読み下さい。

はじめに│8月27日の代表選を前に

維新は設立から2012年の設立から10年を経て、間もなく8月27日に初の「代表選挙」を迎えるものと報道されていますが、実は今を遡ること7年前、2015年11月1日に「党員・議員平等に一人一票の代表選挙」が行われるはずでした。

しかしこの代表戦は実施されることはありませんでした。同年12月に大阪市長の任期切れと共に政界を引退するはずだった橋下氏が、自らの推す大阪系の候補が勝てないことが分かった途端、突如分裂騒動を仕掛けたからです。大阪系の議員・党員だけで臨時党大会を開き、馬場伸幸氏を代表に選出し新たな党を設立したために、幻に終わりました。

今回の日本維新の会代表選挙は、大阪市長の松井一郎代表が、来年4月の市長任期をもって、政界引退を表明したことで始まりました。足立康史氏(党国会議員団政調会長)、梅村みずほ氏(参議院議員)、馬場伸幸氏(共同代表)の3氏による争いです。

しかし「後継指名はしない」と言っていた松井氏が突然、馬場氏の支援を打ち出します。同時に立候補を予定していた東徹氏(参議院議員)が「党内の亀裂を生む」ことを理由に立候補を取り下げました。再度「(橋下氏・松井氏の意を受けた)馬場氏を選ぶための茶番選挙」となる様相を呈しています。

本稿では、第1回の都構想住民投票否決から、橋下氏が突如維新の党の分裂騒動を仕掛け、当時議員でもない選挙区支部長に過ぎなかった私が、弁護士であったために馬場氏らへの訴訟の前面に立つに至った過程、代表選挙で負けそうになった橋下氏、松井氏の内幕を書かせていただきます。

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他の野党への裏切り

2015年5月17日、維新が仕掛けた大阪都構想が否決に終わると、その余韻に浸る間もなく、中央政界では、その2日前に閣議決定を経て衆議院に提出されていた、平和安全法制(安保法制)一色になりました。

この時すでにみんなの党と合流して「維新の党」となっていた維新は、衆議院21人、参議院5人の計26人の勢力となり、私も新潟で支部長を務めていました。新代表となった松野頼久氏は、「年内に100人体制を目指す」として、野党再編によって二大政党制が再び実現する期待が広がりました。

 

ところがこの維新の党の新執行部の方針は、発足から1ヵ月ほどで暗雲が垂れ込めます。国対委員長だった馬場氏など「大阪系」が、「民主党左派も含む再編になると改革に後ろ向きになる」などと言って、野党であるにもかかわらず「反民主」「政府・与党との協調」に動きだしたのです。

このとき国会では、企業が派遣社員を受け入れる期間の上限を事実上なくす労働者派遣法改正案が争点になっており、野党は徹底抗戦で採決に応じていませんでした。そもそも前年の11月に、民主党、維新の党、みんなの党、生活の党の野党4党で労働者派遣法改正案の対案として「同一労働・統一賃金推進法」を提出済み。ところが、維新の党は馬場氏らが主導し、この法案を修正のうえ自民・公明・維新で共同提出することを条件として、労働者派遣法改正案の採決に応じることにしてしまったのです。

それは、一選挙区支部長に過ぎなかった私から見ても、一旦は再編に動いていた方針を翻す、他の野党に対する余りに酷い裏切りに見えました。

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