「自分探し」の呪縛を解く!「本当の私」が見つからない理由を最新心理学で説明する

「私」はいつでも変えられる
私たちの感情は脳が即興的に生み出しているに過ぎず、「心」という確固たるものは存在しない――そんな驚きの研究が発表された。では、「私」とは誰なのか? 認知科学をリードする世界的研究者、ニック・チェイターの新刊『心はこうして創られる――「即興する脳」の心理学』から紹介する。

本記事は、ニック・チェイター『心はこうして創られる――「即興する脳」の心理学』(高橋達二・長谷川珈 訳)より一部編集のうえ抜粋しています

脳に騙され続ける私たち

私たちはみな、ほら話に担がれている。ほら吹きは、自分自身の脳だ。

脳という即興のエンジンは驚くほどの性能を誇り、そのときその場で色、物体、記憶、信念、好みを生成し、物語や正当化をすらすらと紡ぎ出す。

脳があまりに説得力あるストーリーテラーであるせいで、私たちは思考が「そのときその場の」でっち上げとは思いもしない。前もって形作られた色、物体、記憶、信念、好き嫌いを内なる深海から自分で釣り上げたのだと、そして意識的思考とはその内なる海のきらめく表面にすぎないのだと思い込まされる。

だが、心の深みなるものは作り話にすぎない。自分の脳がその場で創り出している虚構[フィクション]なのだ。前もって形成された信念や欲望や好みや意見はないのであり、記憶さえもが、心の底の暗がりに隠れているのではない。

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心には、何かを隠しておけるような奥まった暗がりはない。心の奥はない[マインド・イズ・フラット]。表面がすべてなのである。

 

見つけるべき「私」などいない

つまり脳は、倦むことなき迫真の即興家であり、一瞬また一瞬と心を創り出している。

とはいえ、踊り、音楽、物語など、いかなる即興もそうであるように、新たな思考はいずれも、無から創り出されるわけではない。

新たな即興は、過去の即興の断片から組み立てられる。だからこそ、人は誰もが唯一無二の歴史そのものであり、その歴史を再配置して新たな知覚や思考や感情や物語を創り出すことのできる素晴らしく創造的なマシンでもある。歴史を積み重ねるうちに、ある思考パターンは自分にとって自然になり、他の思考パターンは下手になったり苦手になったりする。

だが、一方では過去に頼っているとはいえ、私たちは継続的に自分自身を創作し直してもいる。

この創り直しの方向によって、自分が誰であるのか、これから誰になるのかを変えていける。

ということは私たちは、地表下に広がり闇に包まれた心の世界から及ぼされる、見えざれど逃れがたい力に突き動かされているのではない。そうではなく思考とは、過去の思考や言動を変換したものなのだ。

どの前例を考慮に入れ、どんな変換なら許すのか、そこには往々にしてかなりの自由度と、いわば裁判官の裁量権にあたるものがある。

今日の思考や言動は明日の前例となるのだから、私たちは一つの思考ごとに、まさしく文字どおり、自分を創り変え、創作し直しているのである。

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