2022.09.14

コーヒーが媚薬に!? オランダ人を
相手にする長崎の遊女たちが
日本のコーヒー最先端だった!

出島で飲み交わされたコーヒー
いまや世界有数のコーヒー大国のひとつである日本。コーヒーが初めて持ち込まれたのは18世紀末、オランダからだった。
当時のオランダ人たちは長崎の出島に駐留していた。妻を伴うことも出島から出ることすらも禁じられたかれらは、近くにあった丸山遊廓の遊女たちを度々出島に呼んだ。
はからずも遊女たちは、オランダ人からコーヒー文化を伝えられる最前線にいたのだ。
今年、待望の復刊をはたす幻の名著『日本の珈琲』。そこから、遊女とコーヒーの興味深い歴史を紐解いてみよう。

(※本稿は奥山儀八郎『日本の珈琲』を一部再編集の上、紹介しています)

オランダ人たちが遊女を呼ぶ

丸山の遊里は今はなくなったが、全国遊里と異る点は、異国紅毛、唐人に交わることである。

丸山は寛永十九年、丸山町と寄合町が合併してできた。丸山遊女は、その相手の国籍により、日本行、唐人行、オランダ行と分れている所は国際空港に似ている。
安政開港以後は大浦行、稲佐行、外館[そとだて]行とバスのようになった。稲佐には露人がいた。ここに通う遊女は「ロシア女郎衆」と呼ばれた。

その他には名付遊女、仕切遊女のように、単に遊女屋に籍を置くだけで自宅に唐紅毛人をよんだ。

ピエル・ロチのお菊さん、マダム・バタフライのラシャメンの元祖のようだが、ラシャメンとは、羅紗の原料、即ち緬羊のことで、長い航海中マドロスが船中飼育の緬羊を女の代用することから即ち異人の相手をすることから来た言葉だというのだか、どうか。

Plattegrond van Deshima/wikimedia commons

閉ざされた土地としての出島

出島の蘭館はわずかに一つの石の橋によって長崎の町に続き、地積三千九百坪、東西三十五間余、形扇面の如く陸に向える側は九十六間余、海に面せる側百十八間余周囲二百八十六間余、ことごとく塀をめぐらしてあるのは、抜荷を防ぐためだ。

構内には、新旧カピタン以下、乙名部屋、通詞部屋、蘭役人部屋、諸倉庫があり、花園、納涼所、豚舎、鳩舎、そして遊女部屋がある。

表内外三ヶ所に番小屋を置き、西側には水門を設けて、平素はかたく正門を閉し、みだりに諸人の出入を許さない。周囲の海中に、十三本の榜示標[ぼうじぐい]を立てて、これより内に船の入るを許さない。

出島正面の橋畔に高札あり、それには、こうある。

禁制、出島町
一、傾城の外女人入事
一、高野ひじりの外山伏入事
一、諸勧進之もの並乞食入事
一、附り橋下船乗通事
一、断りなくして和蘭人出島より外へ出事
右の条々堅相守者也 卯十月 

オランダ人たちが遊女を呼ぶ

ツンベルグは丸山遊女について次の記事を残している。

いうまでもなく長崎の如き商業も盛んで、外国人の出入する所には、勿論その悪場所がある。和蘭人、支那人はここで莫大な金を浪費する。その金は非常な困難と危険を冒して得たものである。

外国人の独身者でその孤独を慰めんとするものは、毎日出島にこの種の御用を務めに来る者に依頼すると日没前に若い娘とその侍女なる小女をつれて来る。この小女は普通カムロと呼ぶ。この小女は毎日主人の食事を整えたり、化粧や、着付けの手伝いをする。

相手の女を望みの期間、それが数年に亘っても引止めておくことができるが、最小三日は同じ女を置かなければならぬ。女は毎日町の入口の番所へ行き、戻りたいとか残りたいとかを申し出る。

この悪の花の借賃は、八マース(銀八匁─銭一貫三百六十文即ち十三銭六厘)でこれを抱主に払い、その他食料はこちら持ちの他、絹の着物、帯、髪かざり、宝石の類を時々贈る必要があるとかなり詳しい。

『バレンタイン日本誌』(一六四九)に

『バレンタイン日本誌』にこうある。

カピタンは彼等が名誉ある日本婦人と関係するが如きは死刑の罪に価するものとして厳に禁じられている以上は、丸山遊女が出島に滞留することもまた禁止せよ……と願い出たが、若いオランダ人達は、「お年寄りの人々の企てとして、その人の業績に記念すべき事柄を残した」と云う意味では、いくばくかの意義があるかも知れないが、「粘液物質が枯渇した老人が、かつてはそのものをもて余したことを忘却したもの」として、むしろ嘲笑した。
photo by iStock

遊女が妊娠した場合……

このようにして、オランダ人と丸山遊女が特別親交を結ぶからには、当然の生理現象として、懐妊することもあり得る。これに対して、幕府当局は、「この儀少しも苦しからず」と特別なお達しを出している。

お書付(正徳五年)
一、遊女が、オランダ人や、唐人の子供を、妊娠した時は、必ず奉行所へ届け出よ。かくしおき後日に露顕[ろけん]に及ぶ時は、本人は元より両町名主まで処罰される。
付則
右の如くオランダ人、唐人の子を懐妊するは少しも差支なし、この時はお取調の上、それぞれ申しきかせることあり、又遊女が妊娠中に父親が帰国することもあろうが、その時は出島役人にその旨届け出よ。その上にてその子が生れてからの処置について、その父とよく相談せよ。その父がそのとりきめを承諾した上は、子供が出生してから、その父が再来するまでの養育については疎略であってはならない。
又その父が当地にいるうちに出生した場合は、その父の考えによって、その養育法をとりきめてもよい。但しいずれも有体[ありてい]にお上に申上げてからその差図を受けなければならない。又その父が子供を本国に連れ帰りたい希望でも日本国の禁制となっているから、前もって承知しておくこと……。

上のように懇切な差図書を出している。

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