2022.09.14

コーヒーがもたらした暴動、離婚、禁止令……
その魅力に翻弄された人々の歴史

コーヒー発見伝説からコーヒー禁止令へ
どんなに眠い朝も、一杯のコーヒーを飲めば目が覚め、活力がみなぎる……。
人々の生活に欠かすことのできないコーヒー。日本に限らず世界的に愛飲されるこの飲み物は、どのように発見され、今のようにどこでも日常的に飲まれるようになったのか。
日本のコーヒー研究に莫大な影響を与えてきた幻の名著『日本の珈琲』。待望の復刊をはたすこの書物から、コーヒーをめぐる人類史の一端をのぞいてみよう。そこにはコーヒーに翻弄されてきた人々の姿がある。
(※本稿は奥山儀八郎『日本の珈琲』を一部再編集の上、紹介しています)

「酒」としてのコーヒー

飲食物の起源というものは何によらず確とはわからないのが本当である。我が国最古の珈琲文献、紅毛本草『阿蘭陀海上薬品記』という写本に、こうある。

コッヒー一名はバン、一名はボウ、一名はビュンナア、一名はビウニウ、一名はビュンコウ、此樹始めアラビア国、次にジャワ及アンボンという所、或はセイロン島の諸国に相渡る。

アラビア人は珈琲豆もその樹のこともバンと呼び、その飲物をバンチャムという。
今日コーヒーという言葉はトルコ語のKAHVEH、アラビア語のQAHWAHQ、仏、ポルトガル語のCAFE、ドイツ語のKAFEE、英語のCOFFEEである。これは飲めば酔うもの、すなわち酒の意味がある。バンはアラビア語の豆で英語のビーンズにあたる。

珈琲の実は桜桃の実に似て肉うすく、はじめは緑色から橙色、赤、真紅になるもので、始めの頃その果肉と種子ごと砕かれ油で練り固め、にぎりめしのようにして食用にされたといわれるが、現今もアフリカのグァラ族がそれを食用としているそうだ。
またアフリカのある地方では果肉からシェリー酒を造るように発酵させて芳香ある一種の酒を造るといわれる。

コーヒー史の名著

世界の珈琲史については、一九二二年、ニューヨークのティ・エンド・コーヒージャーナル社から出版されたオールアバウト・コーヒーがもっとも権威あるものであるが、日本の珈琲史については一行もふれていない。

我国にも珈琲に関する著書は二、三に止まらないが、その発見伝説全て右の原書から引いたと思われるにかかわらず、日本の著述家には原著者名や原典について明記するという習慣がないらしい。

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アラビアのコーヒー発見伝説

次にそれ等の発見伝説の二、三の型があるからそれを次にのべる。
本書の巻末に附録した日本珈琲文献小成にも、古く幼稚ながら色々と発見伝説がある。

アラビアの僧シェーク・オマールが罪を得て放浪中、餓えて食物なく、ふと見ると灌木に赤い実をつけたのを採り食った。その味は美味であり、しかも心身興奮して爽快感を覚えた。

その僧この実を焙[あぶ]ってもみ、沸して飲んでみてもその天性の効能あるを知り、病者に施して治してやったので、その功により再びモカに迎えられ聖者の位についたという。これから見ると発見は十三世紀ということになる。

エチオピア高原発見説

また一説にはエチオピア高原発見説がある。

それはローマのアルキ・ギムナシウム学校のカルデア語およびシリア語の教師ファツス・ナイロヌス・バネイシウス・マロニタが講義した話にこうある。

フェリクス・アラビア人の放牧者がエチオピア山中に山羊を放牧中のこと、彼の山羊共がある灌木の赤い実を食うときまって幾夜も眠らず興奮して騒ぎ出して止らず、この事をある僧に告げた。
この僧が試みにこの実の薬効を実験してみてのくだり、前記の話と似ている。即ちこの実は、生食しても、煎飲しても心気爽快となる。心身を活発にする作用があることを認めた。
この僧自ら常用すると共に他の僧にも奨めたところ、毎日の退屈きわまるミサを勤めるのに眠りを防ぐの効あることが確められた。

この語学教師はこの実をバン又はボンとよび、これはアラビアの学者のいうブンクというものと同じものだろうといった。またの伝説には山羊の代りに野生の馬が発情期にこの実を食い盛大に愛の交歓をするという説もある。

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