2022.09.14

ロンドン主婦たちが起こした「珈琲店反対」デモ…コーヒー文化が直面した反発とは

その美味さゆえの混乱
スターバックス、ドトール、タリーズ……街に出ればあちこちにコーヒー店がある。コンビニや自動販売機などを含めれば、今やコーヒーはいつでもどこでも買える飲み物の代表格だと言っても過言ではないだろう。
そんなコーヒー店も、各地に開かれるようになったのはここ400年ほどの話。あまりの美味しさにまたたく間に店舗は増えていったが、その勢いに比例して、反対デモも繰り返し起こっていた。
今年、待望の復刊をはたす幻の名著『日本の珈琲』から、コーヒー店をめぐる受容と反発の歴史をたどってみよう。
(※本稿は奥山儀八郎『日本の珈琲』を一部再編集の上、紹介しています)

麻薬のような飲みもの

西暦一六〇五年ローマ法王クレメント八世が珈琲に洗礼をさずけて基督教徒の飲料として許可したというエピソードは、あまり出きすぎていて演出くさい臭いがする。

もちろん、これ以前からヨーロッパ人の旅行者が回教の国の飲料としての珈琲の香が魅力的であることにひかれて、それは我々自身も経験するところだが、コーヒー、タバコ、ワイン等の飲用の習慣は、なかなか自分自身が禁止することができにくいものだ。

わけてもコーヒーは麻薬のように病みつきになる。この事情は洋の東西を問わず同様であろう。

ローマ法王も許さざるを得なかった美味しさ

ローマの基督教徒中にも珈琲を飲む習慣の人々が次第に増加するとともに、どこの国にもいる教会の信者の中からインキのような色をした、しかも異教徒の飲物を飲むことについて禁止すべきだという人が現れ出したので、この裁きはついにクレメント八世につけて貰うことになったのである。

さっそく裁判が開かれて、法王の前に被告珈琲が運ばれた。法王はおもむろに、これを口中に入れて嚥下した。そして二口、三口とすすり、すべてこれを飲み下した。そして裁定が下された。

「うむ、うまい。このような美味な飲物が悪魔から来たとは信ぜられない。我は神の名によって、このものに洗礼をさずけて以後キリスト教徒の飲物として祝福するであろう」といったというのだ。

これはうそくさい。法王はかねてから秘かにコーヒーを愛飲していて、それを自分自身も禁止することの困難さを察して、この無害の飲物をこの機会に、公許したものだろう。

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日本近代医学の父・シーボルトも虜に

ローマから始まったキリスト教徒の珈琲は間もなくベニスに渡り一六一六年には早くも機敏なダッチ・オランダの商人によって、モカ珈琲がヨーロッパに船載された。
オランダ人は早くから珈琲に着目した世界最初の珈琲貿易商人であっただけでなく、世界最初の移植栽培家でもあった。

文政六年(西暦一八二三)我国に渡来したシーボルト先生は、当時我国に珈琲の売込みがなされていないことをなげき「自分のまわりの日本人はよく珈琲を好んでいるのに、二百年来、世界の珈琲商人と取引きしていながらいまだこの国に珈琲が売りこまれていないのは遺憾である」と述べている。

このように珈琲はオランダの貿易商人としては大きなものであったことが知られる。

川原慶賀 - 近世の肖像画(Japanese Portraits of the Early Modern Period) 佐賀県立美術館 1991年/wikimedia commons

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