安倍晋三元首相が銃撃されてから2ヵ月が経とうとしている。この事件を「テロ」とみなす声もあれば、そうではないとする声もあり、事件がさだまった位置を与えられるのには時間がかかりそうだ。
以下では、この複雑な背景をもつ事件をより深く考えるという視点から、戦前に起きたテロ事件である「五・一五事件」について、帝京大学教授の小山俊樹氏が解説する。
「五・一五事件をくり返してはならぬ」
ときの犬養毅首相が首相官邸で襲撃された、いわゆる五・一五事件から20年以上がたった1954年。首相に銃弾を放った元海軍中尉・三上卓は次のように語り、「暴力革命」に戒めの言葉を残した。
テロやクーデターは、日本では、必ず失敗する。断じて、五・一五事件をくり返してはならぬ。くりかえさしてはならぬ。(「五・一五の作戦本部」)
昭和に数多く発生したテロ事件のなかで、五・一五事件が特筆されるのは、現職の首相が官邸で殺害された衝撃もさることながら、国民的運動に発展した減刑嘆願の動きであろう。軍事法廷に立って時の政治を徹底批判した三上中尉の姿は、世論の賞賛と喝采をうけた。わずか6年余りで刑期を終えて出獄した三上は、戦時下には東条英機首相の暗殺を企て、戦後のクーデター未遂として知られる「三無事件」にも関与したとされている。
五・一五事件のようなテロを繰り返してはならない。それは今の私たちの思いである。だがさかのぼること90年前、首相を殺害したテロ事件の被告に、どうして国民は熱烈な支持を与えたのか。そして事件を起こした三上中尉自身が、なぜ「事件をくり返すな」との言葉を残したのか。現代の私たちにとっても、この問題を歴史の命題として考えておくことは、決して無益ではないだろう。