テロの動機との関連で言うと、現代ではテロの続発を防ぐために、犯罪の厳罰化を行うべきだとする主張も、よく見られる。厳正な裁きを行うことに異論はない。厳罰化も、安易な模倣を防ぐ意味はあるだろう。ただし、本気でテロを計画する人間は我が身を捨てて、社会に対して主張すると決意している。たとえば自爆テロにおよぶ犯行に対して、その罪を厳罰化したところで、どれほどの効果があるものだろうか?
五・一五事件の被告も、社会変革への「捨て石」とならんと決意していた。二・二六事件で決起した陸軍青年将校も、最後は法廷闘争に望みをつないだが、生命を惜しむ様子はなかった。「五・一五事件を厳罰化しなかったから、二・二六事件が起きた」とする説が巷間に流れているが、筆者はやや疑問に思う。もし五・一五事件の被告が極刑に処されていたら、二・二六事件の陸軍将校たちは、彼らの「遺志を継いで」決起したかもしれない。刑罰の重軽は、彼らの判断にはあまり影響はないと見たほうがよいだろう。
彼らが法廷闘争を選んだのは、自らの主義主張を社会にひろく訴えるためであり、世論の同情をひいて刑を免れることは考えていなかった。減刑嘆願の動きとは、被告の主張に同情心を寄せた社会の側からの、あくまで一方的な反応であることも分かっておくべきである。
テロの背景にある「絶望感」
テロの動機はわかりづらいが、自暴自棄の行動でなければ、犯人なりの主張はあるとしよう。それとともに、我が身を捨てる政治的テロリズムは最終的な手段である。行動力の高い若者が、他に訴える方法はないと判断して実行したのだとすれば、そこには多くの場合、社会に対するよほどの強い失望や憤り、救いがないといった絶望感が伴うはずである。
筆者は『五・一五事件』において、戦後の昭和維新関係者、とくに三上卓の動向について紙幅を割いた。あくまでも筆者の解釈だが、五・一五事件の当事者である三上が戦後たどりついた境地には、若者の手を捨身のテロに染めさせたくない、という思いがあったのではと感じたためである。