現代哲学は死に瀕している——相対主義を克服しなければならない理由

『新・哲学入門』マニフェスト
現代思想の行きづまりを打破し、根本的に刷新する——。哲学者・竹田青嗣氏による、哲学のまったく「新しい入門書」であるとともに、「新しい哲学」の扉を開くための書、『新・哲学入門』より、同書の目的を宣言する「マニフェスト」をお届けします。

哲学は死に瀕している

*二一世紀の現在、哲学はその本質を見失い、自壊し、死に瀕している。なぜか。哲学の本義は普遍認識を目がける普遍洞察の方法にある。だが、現代哲学では、稀な例外を除いて、哲学の根本方法を否定する相対主義哲学がその舞台を席巻してきた。普遍認識の否定、これが相対主義哲学の旗印である。それは現代の流行思想だったが、現代哲学の最大の病でもあった。だが、哲学の偉大な達成は、相対主義が克服された時代においてのみ現われる。いまわれわれは、哲学の概念と像を根本的に刷新しなければならず、そのため、根本的に新しい哲学を必要としている。本書は、まさしくこの意味で、哲学についてのまったく「新しい入門書」であるとともに、「新しい哲学」の扉を開くための書である。

*哲学とは何かについてさまざまな考えがある。哲学とは、世界と人間の存在の意味についてどこまでも考え続ける問いである。あるいは、哲学は概念の創造の営みであり、そのことで既成の世界像を刷新せねばならない。また、哲学は一切の自明となった考えを徹底的に疑う思考である、等々。しかしこれらはどれも、不徹底かつ生半可の思考にすぎない。

 

「原理」の方法としての哲学

*哲学の端的な定義は、以下である。

哲学は言葉による「世界説明」である。だが哲学は世界の「真理」を捉えるのではない。言葉は真理を捉えることはできず、ただ「世界の絵」を描くことができるだけだ。哲学は、「普遍洞察」という独自の方法によって世界を説明する。この方法が哲学を普遍的な世界説明とする。そもそも人間だけが言葉によって「世界説明」を行なう。そして、古来人間は、二種類の「世界説明」の方法をもった。まず宗教が現われ「物語」によって世界を説明した。その後に哲学が登場し、はじめて「普遍洞察」の方法を生み出した。このことで哲学は、「原理」の方法となった。

*「原理」とは何か。はじめに問いが示されるが、一切の問いに普遍的な認識が成立するわけではない。「原理」の思考は、この問いに、誰にとっても妥当する説明方式が可能かどうかを追いつめる。そのことで、絶対的な認識(真理)ではなく、万人にとっての共通了解となりうる普遍的な世界説明を創出する方法となる。

哲学の「原理」の方法は、哲学のテーブルのリレーによってのみ可能となる。個々の哲学者の達成は、この原理のリレーのうちではじめて意味をもつ。一つの哲学の卓越は、その原理がそれまでの哲学のリレーによって達成されてきた原理を、もう一歩推し進めることができるか否かにかかっている。時代の中でどれほど注目される哲学の言説も、新しい「原理」をもっているのでなければ、やがて必ず消える。

本質的な哲学だけが新しい「原理」の創出の意志をもつ。「原理」を捉えることではじめて哲学は、現実に対抗しうる言葉となり、人間と社会の本質的な可能性となる。

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