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小4で偏差値42から灘→MITに進学した起業家が語る「中学受験」で大切なこと
2022.09.11

前編

小4で偏差値42から灘→MITに進学した起業家が語る「中学受験」で大切なこと

名門私立校である灘からMIT(マサチューセッツ工科大学)を経て、起業家として活躍する前田智大さんは、偏差値主義である日本の受験や教育に危機感を持ち、子ども向けオンライン学習サービス「スコラボ」を展開している。

共同経営者の趙 慶祐さんも、前田さんと同じく灘出身。卒業後は東京大学に進み、前田さんの誘いを受けて共に起業したという。

「子ども時代にこんなことを学べたら、もっと楽しく主体的に学びを深められるのではないか――。その“学び”がいかに素晴らしく将来に直結していくかを、たくさんの子ども達に伝えたい――」

彼らが提供するオンライン教育サービス『スコラボ』は、“楽しい学び”への強いおもいがこめられた、次世代のエースをも育むようなコンテンツが揃っている。

圧倒的な経歴を持つ2人だが、そもそも前田さんと趙さんはいったいどんな幼少期を過ごしたのだろうか――。入塾テストでは偏差値42だったという中学受験、そして塾に通わなかった大学受験や、起業までの道のりとは? FRaUwebが主催する『FRaU SDGsこどもプレゼンコンテスト2022』に際して開催したウェビナーに登壇し、幼少期の習い事や、塾での勉強法、親との関わり方にいたるまでお話ししてくださった2人。勉強ばかりしていたわけではなく、実は恋愛に夢中だった時期などもあったなど、エピソード盛りだくさんだった内容の一部を記事にして掲載。

中学受験についての話をメインにした前編と、大学受験についての話をメインにした後編に分けて、対談形式でお届けします。

前田智大/株式会社Mined代表取締役
中学受験で灘中学校に合格。灘高等学校進学後、大学受験は東京大学とマサチューセッツ工科大学にダブル合格。進学はマサチューセッツ工科大学 電子工学部へ。MIT Media Lab修士課程を卒業後、起業。日本と海外の学習環境を肌で感じ、それぞれの良さと今後の課題を実感。それを軸に、子ども達へ伝えていきたい“学び”の楽しさを、自身の展開する子ども向けオンライン学習サービス「スコラボ」に投影し、現在に至る。
趙 慶祐/株式会社Mined COO
中学受験で灘中学校に合格。灘高等学校進学後、大学受験では東大理科II類に合格。東京大学大学院 薬学修士を経て、Minedを前田さんと共同創業し、現在は子ども向けオンライン学習サービス「スコラボ」を展開中。

幼少期の習い事はKUMONとそろばん

FRaU:幼少期、お二人はどんなお子さんでしたか?

前田:“ものごとを納得するまで考える”という気質は小さい頃からです。勉強面に関しては、両親は徹底して「わからないところは自分で解決し、それでもわからなければ先生に聞きなさい」というスタンスでした。だから、いつも納得するまでじっくり考える時間を自然と持っていました。生活面でも、例えば両親から何か怒られたとしても、その理由に納得できなければ、いうことを聞きませんでした。

趙:私は、負けず嫌いな性格でした。2つ上に兄がいて、両親から比べられることはありませんでしたが、勝手に兄に対して対抗意識を持っていましたね。

Photo by iStock

FRaU:習い事は何をしていましたか?

前田:運動系は水泳を幼稚園~小5までしていましたが、これは友達と遊びに行くため(笑)。楽しかったです。小4~5の頃は、週末に町内会ソフトボールもしていましたね。勉強系はKUMON幼稚園の年長~小4夏頃まで通っていました。私の通っていた小学校はいわゆる地域の公立小学校で、そこまで勉強熱心ではない地域だったので、KUMONで学校の勉強を先取りしておくと、クラスでは神童扱いでした(笑)。KUMONのおかげで“自分に自信がついた”という意味では、通っていてよかったなと思います。

趙:私は「習い事をすぐ辞める」で有名でした(笑)。ただ、両親からの声かけで「続けろ」と言われたことは無かったです。そんななかKUMONは通っていましたね。自分のペースでどんどん進めることができるというので、好きでした。ただ、通っていた当時の教室長が変わってしまい、進度があまりに進みすぎると、同じことを繰り返す方針になってしまって。「いきたくない」となって結局すぐ辞めました。

一番続いたのは、そろばんです。暗算がすごく好きで、当時は歩く電卓と言われたりしてました。3桁×3桁ができるってので、私も……神童扱いされましたね(笑)。

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