「多様な価値観」は絵空事? 現代思想が犯している本質的な誤ち

いま、求められる「価値の哲学」
竹田 青嗣 プロフィール

「自由な社会」を可能にする唯一の原理

*私は、ごく手短に、現代哲学が完全に看過してきた、近代哲学者の構想による「自由な社会」の原理の要諦をここに示してみよう。

はじめにホッブズが「普遍戦争」の原理によって、戦争の抑止の原理を確定した。つまり、強力な統治権力(国家)だけが戦争を抑止する(それ以上の普遍的原理はまだ誰からも示されていない)。つぎにジャンジャック・ルソーが、統治権力が絶対権力ではなく、各人に自由を配分する人民権力となる原理、すなわち「社会契約」と「一般意志」の原理を提示した。「万人の自由の確保」の原理についてもこれに代わる原理はまだ存在しない(マルクス主義は「平等」の原理だけがあって「自由」の原理をもたない)。この二つは、統治権力と人民意志によるそれは、近代の「自由な社会」の政治システムの根本原理といってよい。

もう一つ、近代社会の経済システムの原理が、これは事後的に、アダム・スミスによって見出された。

 

スミスは、ヨーロッパの自由市場経済の進展から、自由貿易の促進、つまり国家間の財の普遍交換こそが諸国民の富を増大するという原理(「レッセ・フェール」)を見出した。この国家間の普遍交換のシステムは、市民国家の登場によって資本主義に転化する(これを私はスミスから受け継いで、「普遍交換−普遍分業−普遍消費」の原理とする)。

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経済システムとしての資本主義は、人類史上はじめて登場した「生産性を持続的に拡大する」経済システム、と定義することができる。さらに重要な点は、普遍交換によって諸国家を互いに富ませるこの経済システムは、やはり人類史上はじめて現われた、国家間の共存を可能とする経済システムでもある、ということだ。

多くの人々はこれに異議を唱えるにちがいない。かつての資本主義は、むしろその闘争的本性を露わにして世界戦争を引き起こしたし、現代の資本主義は、その競合的本性をき出しにして共存どころかマネーの覇権ゲームとなっている。このことは誰も知っており、それゆえ資本主義システム自体への強い疑念が現われている。

しかし、にもかかわらず私はこう主張する。「近代市民社会(国家)」の原理は、歴史上はじめて登場した、万人に自由と価値の多様性を保証する社会システムである。その政治原理は一般意志統治(民主主義)であり、その経済システムは普遍市場(資本主義)経済であって、この組み合わせは代替不可能である。

現在の資本主義はたしかに不当な独占的経済ゲームとなっている。しかし、にもかかわらず、資本主義の普遍市場経済だけが諸国家の共存を可能にする唯一の経済システムの原理である。必要なことは、資本主義を正当な経済ゲームとして持続させることであって、それを否定することではないことを理解しなくてはならない(それは自由な社会の可能性を否認する)。

すなわち、「近代市民社会」の政治原理だけが万人に自由を与える唯一の原理であり、また普遍市場経済の原理だけが国家間の敵対関係を宥和ゆうわするはじめての原理である。そして、この二つの原理の連繫が、歴史上はじめて、「普遍暴力」の縮減の可能性の原理を示したのである。

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