「内面の富」を見つめよ……哲学者がたどり着いた、絶望的な人生を幸せに生きる方法

ショーペンハウアーの幸福論
苦しみに満ちた人生を、いかに生きるべきか。欲望を原動力とした現代社会の歪みが、生きづらさに拍車をかけている。最近では「生まれてこなければよかった」と嘆く若者たちも増えているという。いまこそ、「生きるとは何か」を真剣に考えるべき時代だと言えるだろう。

哲学者・ショーペンハウアーは、私たちの多くが抱える「苦悩」について、誰よりも深く考えた。一方で、晩年の彼は、人間の幸せについても深い洞察を残した。その言葉には、私たちの心を楽にしてくれるようなところがある。

9月15日(木)発売の梅田孝太『今を生きる思想 ショーペンハウアー 欲望にまみれた世界を生き抜く』より、ショーペンハウアーの幸福論をお届けする。

求道の哲学/処世の哲学

ショーペンハウアーがその主著『意志と表象としての世界』で提示したのは、〈求道の哲学〉だった。すなわち、ショーペンハウアーは生きることの苦しみを主題化し、その元凶である「意志」を否定することを根本教説として提示したのである。

若きショーペンハウアーは、苦しみに満ちたこの世の醜さに「否」をつきつけ、無目的な意志の支配を断ち切ろうとし、自由への逃走を試みたのだともいえるだろう。「青春の哲学」と呼ばれる所以もここにある(『ショーペンハウアー 随感録』、秋山英夫訳、「解説」326頁)。

だが、ショーペンハウアーが書いたもののなかで、最も多くの読者を獲得してきたのは彼の主著ではない。それは、彼が63歳になった頃、1851年に刊行した『余録と補遺』という著作である。

 

そこに収録されていた「人生の知恵のためのアフォリズム」(Aphorismen zur Lebensweisheit)が大変な人気を博した。その内容は驚くべきことに、幸福論である。すなわち、若者に向けて、人生の酸いも甘いも知る熟年期のショーペンハウアーが生き方の知恵を授けてくれる、生き方についての指南書だ。

このような人生訓の類書は、西洋では古代ギリシアのヘシオドスやアリストテレスの『ニコマコス倫理学』以来、20世紀のアドルノ『ミニマ・モラリア』にいたるまで、豊かな伝統がある。『余録と補遺』は、イギリスでショーペンハウアー思想についての紹介記事が出てから広く読まれるようになり、ついにはショーペンハウアーをヨーロッパで最も影響力のある書き手の一人にした。

フランクフルトのショーペンハウアー像(photo by iStock)

ショーペンハウアーの幸福論は、幸せを願う読者の期待を鮮やかに裏切って、幸福になりたいだなんて、無駄だからやめておけと言ってのける。この書は、ありきたりな指南書や自己啓発本とちがって、自己欺瞞に導いたり、優しい言葉で読者の承認欲求を刺激したり、欲望のはけ口を与えて甘やかしたりはしない。

むしろ皮肉と軽妙な語り口によって冷や水を浴びせ、不思議とすっきりした「あきらめ」の境地に導いてくれるような、他に類を見ない生き方指南書となっている。

ショーペンハウアーは、わたしたちが日常的に幸福と呼んでいるものの正体を「あきらかにする」ことで、「あきらめる」ことへと導いてくれる。つまり、この本が示してくれるのは諦観の思想であり、ショーペンハウアー哲学の人生論としての側面である。

『幸福について』という書物

『余録と補遺』の白眉であり、ショーペンハウアーの人生論としての側面が凝縮されている『幸福について』(註)がどういう書物なのかを確認しておこう。

まず、この論稿は「序言」から始まり、「第一章 根本規定」、「第二章 『その人は何者であるか』について」、「第三章 『その人は何を持っているか』について」、「第四章 『その人はいかなるイメージ、表象・印象を与えるか』について」、「第五章 訓話と金言」、「第六章 年齢による違いについて」という六章からなる。

第一章では、人間を幸福にする「三つの財宝」が規定され、第二章から第四章はその三つについて詳しく論じられていく。第五章は、それぞれテーマの異なる50以上もの断片的な短い文章からなり、少しずつ読み進めるにはぴったりの箇所になっている。第六章で、幼年期と青年期、そして老年期をどう過ごすべきかを論じることで、この書物全体が締めくくられる。

なお、注意しておいてほしいのは、この書物には男尊女卑や人種差別が含まれているということだ。もちろん、古典を真に理解するためには、読者たる自分自身よりも著者のほうが全面的に正しいはずだという前提で読む必要がある。

だが、差別的・暴力的な言説についてはそのかぎりではない。それを真に受けてしまうことで読者自身が傷つき、あるいはその内容を広めることで誰かを傷つけてしまう危険性があるからだ。したがって、ショーペンハウアーの『幸福について』は、批評的意識をもって読む必要がある、取り扱い注意の書物なのだと言っておかねばならない。

(註)鈴木芳子訳、『幸福について』光文社古典新訳文庫、2018年。本稿での引用の際、適宜変更を加えながら同書を参照して訳出した。また、読者が参照しやすいように同書の頁数を「邦訳〇頁」と付す。

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