義母・実母を看取って痛感した「いい介護」の知られざる条件

ベテラン介護講師が見つけたもの

介護の意義や独自性、その面白さを、著作や講演で発信し続けてきた三好春樹さんは、医療に従属していた介護を独立した分野へと導いた立役者と言っていいだろう。その彼がこのたび、尼崎の「町医者」こと長尾和宏さんと『完全図解 介護に必要な医療と薬の全知識』を上梓した。本書でも解説されている「いい介護」とは何かを、あらためて語ってもらった。

お年寄りを生活の「主体」に戻すのがいい介護

介護という分野は、医療を見習って始まりました。だから昔は、介護をするときは安静が重視されていたのです。たとえばお年寄りの髪を洗うとき、普通なら風呂場に連れて行ってシャワーで洗うことを考えるでしょう。ところが昔の介護の世界では、お年寄りを寝かせたままで髪を洗うのが「正しい方法」として教えられていたのです。

ですが、現場にいる介護職は、当時から「これは何かおかしい」と感じていました。お年寄りの「できること」を無視して介護者が安静を強いる……そのような「介護」に違和感を覚える職員はたくさんいたのです。

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医療における患者は、医師・看護師の前で「治療対象」という受け身の存在(客体)にならざるを得ません。病気という特殊な状況下であれば、それもやむを得ないことでしょう。しかし病気が治癒、あるいは「これ以上は治らない」状態になると、患者は退院し、介護が始まります。そうなったら、もう客体ではなく、生活の「主体」になってもらわなければなりません。

病院にいる間は、患者の身体と人生の選択は医師に委ねられている状態でした。そこから、自分で人生の選択をできる状態へ戻していかねばならないのです。何一つ自分で選択できず他人まかせな人生は、味気ないもの。要介護だからといって、お年寄りにそのような生き方を強いてはいけないでしょう。

老化や障害は病気ではありません。「たとえ手足にマヒがあっても、どうすれば主体的で楽しい人生を送ってもらえるか」を考え続ける、それこそが介護の仕事です。言いかえると、医療的な人間観(客体)に替わる人間観(主体)をつくるのが、介護の仕事だということになります。

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