ソニー創業者・盛田昭夫の長男の巨額浪費 スキー場に500億円、F1に200億円

巨額の資産をめぐる骨肉の争い(7)
日本を代表する有名企業をつくった「創業社長」には、どこか共通するカリスマ性がある。しかし、創業社長のカリスマ性が大きければ大きいほど、その去り際、そして去ったあとには、巨大な陥穽が残されることになる。
経済事件取材のトップランナーである筆者が、その圧倒的な取材力と筆力によって構成する最上級の経済ノンフィクション『亀裂 創業家の悲劇』から、「ソニー創業者・盛田昭夫の長男の巨額浪費」をお届け。
リア王やマクベスを地で行く、裏切りと転落のドラマ。

特別な思いでスキー場開発に乗り出して

1987年8月、(盛田)英夫が代表取締役となり東京・南青山に「東京俱楽部」という会社が設立される。取締役陣のひとりに岡田達雄との名前があったが、それは妹・直子の夫であった。東京俱楽部が掲げた目的はただひとつ、スキー場の経営である。すぐにとりかかったのが新潟県新井市(現在の妙高市)に広がる大毛無山一帯の土地買収だった。

名家の出である(英夫の父でソニー創業者の)盛田昭夫は齢を重ねてもハイカラなスポーツに興じることを好み、当時、写真も多く撮られていたから、そのことは世間でもよく知られている。テニスやスキューバダイビングなどと並び、とりわけ愛好したのがスキーだった。スキーのためなら大動脈瘤の手術も受けたし、靱帯を痛めてもすぐにゲレンデに立った。もはやスキー狂と言っていい。そんな父に育てられたから英夫にとってスキーは特別のものだったのだろう。

盛田昭夫氏 Photo by GettyImages

東京俱楽部がスキー場開発に乗り出した頃はバブル真っ盛りであり、大衆消費時代を謳歌するような若者向けの映画がヒットしたように、ちょっとした贅沢であるスキーは一大ブームとなっていた。資本金100万円で設立された会社はこの後、湯水のごとく大量の資金を白銀の山嶺に注ぎ込んでいくこととなる。当初、第1期から第3期にかけ270億円を見込んでいた開発費は難しい地形ということもあり第1期だけでおよそ500億円に膨らんだ。

アライ・マウンテン&スキー・リゾートが開業したのは1993年冬である。すでにその頃、平成バブルはとうに弾け、後にやってくる不況の足音はひたひたと近づいていた。新井市の出資も受け入れて第三セクター化した東京俱楽部は「新井リゾート」と名称変更し、開業時、ホテル・飲食部門を受け皿会社へと分離した。その新会社「新井リゾート開発」に対し、レイケイはソニー株400万株を現物出資し、その株はすべてさくら銀行東京営業部に担保として差し入れられた。巨額の開発費は一族の最重要資産であるソニー株が持つ莫大な価値をもっぱらあてにして調達されたのである。

そんな一方で開業前後、盛田家では一大事が起こっていた。会長としていまだソニーの経営の最前線で指揮を執っていた昭夫が1993年11月30日、テニスのプレー中に脳出血で倒れ、病院に運び込まれたのである。経団連の次期会長となることが確実視されているなかでの出来事でもあった。昭夫は翌1994年5月に退院したものの、その年11月にはソニーの取締役を退任せざるを得なくなる。長男・英夫が没頭したスキー場開発を気に病んでいたともされ、それが予期せぬ引退を招いた一因だったのかもしれない。

 

巨費を投じたスキー場はその高評価とは裏腹に赤字経営が続いた。新井リゾート開発は現物出資されたソニー株を少しずつ売り払って現金化せざるを得なかった。1996年5月期の時点で新井リゾートには167億円もの累積赤字が溜まりにたまっていた。翌決算期からその一掃に向けた財務リストラが行われる。レイケイが保有するソニー株を処分し、そうやって作った現金を新井リゾートに贈与するのである。結局、支援額は約200億円にも上ることとなった。(中略)

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