日本は「新自由主義と決別」どころか、一度も新自由主義ではなかった

競争志向は弱いのに、自助志向だけ強い
「現在の日本は新自由主義的すぎる世界と、新自由主義不足の世界に分断されている」と語る元歴史学者で評論家の與那覇潤氏。「政府の役割は、各アクターが働きやすい場を作ること」と考えるシニフィアン共同代表・朝倉祐介氏。まったくの異分野ながら、「新自由主義が日本に導入されたことはない」という共通の見解を持つお二人の対談を、今回から3回連続でお届けしたい。まずは雇用慣行の面から日本の新自由主義について語り合っていただいた。この社会を根底から形作っているものは何か。日本に根を張る「岩盤規制」の奇妙な二面性が浮き彫りになるのに驚いていただけるはずだ。

新自由主義の議論が見落としてきた、日本社会の奇妙さ

與那覇 首相就任時に岸田総理大臣が「新自由主義と決別する」と発言したことで、久しぶりに新自由主義の概念に再び光が当たりました。一般には新自由主義とは、「競争志向と自助志向の組み合わせ」を指すものです。要するに、市場でなるべく自由に競争した方が活力ある社会になるのだから、後は競争で勝てるように、みながそれぞれに努力すべきだとする発想です。

こうした教科書通りの新自由主義は、競争に負けてしまった人が損をして、格差が生まれるのも「ある程度はやむを得ない」という考え方とワンセットなので、日本では非常に嫌われます。新自由主義の当否が最初に社会的な議論を呼んだのは、平成半ばの小泉純一郎政権の末期でしたが、「英米では新自由主義でよいのかもしれないが、日本の国柄には合わない」といった立場が主流派だったと言えるでしょう。

しかし、こうした議論が見落としてきたのは、日本の国柄の内実です。令和の今振り返るとはっきり見えてくるのは、日本は「競争志向は弱いのに、自助志向だけは極めて強い」不思議な社会だという事実ではないでしょうか。

わかりやすい例が近日のコロナ禍で、「もともと体力の弱かった企業が淘汰されるのはしかたない」とする競争志向の考え方は、日本社会では支持されないので、政府が莫大な額の補償金を企業に出す。しかし一方で「感染したら自己責任。本人が不謹慎なのが悪いんだから、同情は不要」といった自助志向が猛烈に強いため、諸外国と比べても、政府の借金だけが増えて国民どうしはギスギスし続ける、最悪の帰結になってしまいました。

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朝倉 私自身はかつてはスタートアップの経営者、いまはスタートアップに対しての投資家という現場の観点から、どうすれば日本の経済や社会が良くなるのかを考えてきました。そうしたなかで、日本の成長を阻害しているのはほとんど、いわゆる岩盤規制なのだと思うに至りました。

それこそ一度たりとも日本が新自由主義なるものに傾いたことはなかったのではないか、ゆえにその弊害もまたなかったのではないかと思います。そもそも浸透しきっていないから弊害など現象として起きていないというのが私の見立てです。

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