スキー場、F1…ソニー盛田昭夫の長男・英夫 蕩尽の果て――そしてすべてを失った

巨額の資産をめぐる骨肉の争い(8)/終
日本を代表する有名企業をつくった「創業社長」には、どこか共通するカリスマ性がある。しかし、創業社長のカリスマ性が大きければ大きいほど、その去り際、そして去ったあとには、巨大な陥穽が残されることになる。
経済事件取材のトップランナーである筆者が、その圧倒的な取材力と筆力によって構成する最上級の経済ノンフィクション『亀裂 創業家の悲劇』から、「ソニー創業者・盛田昭夫の長男の巨額浪費」後編をお届け(前編はこちら)。
リア王やマクベスを地で行く、裏切りと転落のドラマ。

特別な思いでスキー場開発に乗り出して

(盛田)英夫はいよいよ没落の色を濃くしていく。

2011年10月、英夫が所有する神奈川県箱根町の別荘について横浜地裁小田原支部は強制競売の開始を決定した。申し立てた債権者は国であり、さらに言えば東京国税局だ。芦ノ湖に面し遠く富士山を望むこの別荘はもともと父・昭夫が求めたもので、テニスコートだけでなくヘリポートまで備えたそこはマイケル・ジャクソンはじめ海外の名だたる賓客を過去にもてなした一族自慢の場所だった。それがいまや差し押さえられてしまったのである。

SONY創業者・盛田昭夫氏

つまりは、こういうことだった。

遡ること4年前の2007年1月、英夫は三井住友銀行から約23億円を期限80日で個人的に借りていた。その大金を散財してしまったのだろう、英夫は返済ができなくなる。同年9月、借金を肩代わりしたのは清算手続き中のガラヒ産業だった。拠り所としたのは2002年10月の取締役会決議とされる。当時のレイケイは英夫の「現在及び将来負担する一切の債務」について約61億円を限度額に銀行に対し根保証を差し入れていた。

肩代わりの3年後、前述した税務訴訟でガラヒ産業の敗訴が確定する。この時点で同社の金庫は空っぽで、一方、追徴税は未納付となっていた。2010年9月、東京国税局は取り立てのためガラヒ産業が持つ英夫に対する求償権(根保証実行の見返り債権)を差し押さえ、英夫も債務承諾書を差し入れた。その実行がなされないため、東京国税局は箱根の別荘について競売手続きに踏み切ったわけである。

 

もっともこの時、英夫はすんでのところで一族誇りの別荘を手放す事態だけは回避している。母・良子に譲渡することで納税資金を工面したのである。とはいえ、良子のほうでもそれほど潤沢に資産が残っていたわけではなかったと見える。直前、良子は所有していた絵画を東京国立近代美術館に売却していた。手放したのはジョルジュ・ブラックが描いた「女のトルソ」ほか2点で、この時についた値段は5億8000万円だった。

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美術品放出はさらに続く。箱根の別荘を英夫から買った半年後にはホアン・ミロの「絵画詩」を2億1000万円でやはり東京国立近代美術館に売り払い、2013年11月にはアレクサンダー・カルダー作「モンスター」を同様に売却した。2015年3月、昭夫亡き後も東京・青葉台の邸宅に住まい続けた良子は85歳で天寿を全うするが、喪主を務めたのは長男の英夫ではなく、ソニーで国内音楽部門のトップなどを歴任した二男の昌夫だった。

競売の危機を乗り切ったものの、英夫の資金繰りが火の車であることに変わりはなく、公私混同ぶりは極まっていた。英夫はあたり構わずカネがあるところからそれを毟り取っていた。早くも2008年頃から手を染めていたのは関連公益法人からの借財である。盛田株式会社の流れを汲み英夫が代表を務める個人会社「盛田アセットマネジメント」がまず流用したのは「鈴渓学術財団」の基本財産だった。1978年に父・昭夫の肝いりで設立された財団の目的は歴史社会研究に対する助成であり、本来なら基本財産はそのために使われなければならない。英夫はそれを拝借することにしたのである。

2008年3月期、その額は4億円近くに上った。同じように翌年からは「盛田国際教育振興財団」の資金にも手をつける。同年8月までに流用額は5億3000万円に上った。財団が貸し付ける際、形式上それらには年間数%の利子が課されることとされたが、実際にそれらが払われることはなく、ましてや元本が戻ってくることもなかった。

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