泉ピン子さんが身近な話題をユーモアを交えながら語る連載「ピンからキリまで”おんなの流儀」。今回は、ピン子さんが芝居の道に本気で向き合う第一歩となったエピソードを伺いました。初恋の相手と付き合い始めて8年、少しずつ気持ちが変化してきたピン子さんの心に刺さった、山田洋次監督からの一言とは?

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「ピンちゃんは幸せなんだね」

一度だけ、「寅さん」に出たことがあるんです。1978年12月に公開された「男はつらいよ 噂の寅次郎」っていう回。「寅さん」って、FRaU読者の人たちがどれぐらい知っているのかはわからないけれど、とにかく、当時はまさに「国民的」な映画でした。毎年、お正月とお盆の時期に公開されて、毎回立ち見が出るぐらいの盛況。特にお正月興業なんか、「“笑い初め”は寅さんで」と考える人が大勢いたんです。で、公開から遡ること1年ぐらい前だったと思うんだけど、「寅さん」の撮影をしているとき、私にとってすごく重大な転機が訪れたことがあるので、今回はその話をしようと思います。

寅さんには、毎回「マドンナ」っていって、寅さんが恋に落ちる相手が出てきます。でも、私は「マドンナ」ではなくて、寅さんに、ダムに身投げしようとするところを助けてもらううら若き娘の役でした。実年齢は29歳ぐらいなんだけど、見ればちゃんと娘に見えるからそこはよしとして(笑)。寅さんは「話すだけ話しちまいな。そしたらスッキリするから」って言って、私を近くの食堂に連れて行って、丼ものとか、甘いものとか、いろんなものをご馳走してくれるの。あれはモテて当然だわ(笑)。私の役は、結婚を考えていた男に貢ぐだけ貢いで、でもその男に別の女と結婚すると言われて、失意のうちに身投げをするために地方のダムにやってくるんです。

撮影/田上浩一
 

当時の私は本当に忙しくて、撮影に参加できたのがたった3日しかなかった。それで、朝早く静岡かどこかのダムに向かって撮影したんだけど、山田洋次監督から「死にたいんですよ、この子は。そういう心境にまで追い込まれる感じが出ていない。悲壮感もないし、全然駄目です」と言われて、何度もNGが出ました。もちろん「今日はダメだから翌日撮り直し!」なんてできないから最終的にはOKが出たんだけど、「ピンちゃんは幸せなんだね」と監督に言われたことが頭から離れなかった。