
誰かが会社の利益を独占するなんて、そもそもおかしくないか?
ベストセラー経済学者が描く資本主義終焉後の「会社」経営者の「経費削減」で命を奪われた工員たち
コスタはすっかり感心していた。コスティの会社は、上司とピラミッド構造を排除しただけではない。資本主義の極めて重大な不正までも排除したのだ。企業の所有者が利益をコントロールし、そこで働く者は賃金を受け取るだけだ、という資本主義の不正を。コスタはこう考え始めていた。そんな会社なら、自分もぜひ働いてみたい。
「誰かひとりが鎖でつながれていたら、私たちの誰も自由じゃない」ふと気がつくと、コスタはよくこのリズム&ブルースを口ずさんでいた。もとは、歌手のレイ・チャールズが歌っていた曲だ。あらゆるかたちの隷属が全面的に根絶されない限り、個人は自由になれないのだ。そして隷属の最悪のかたちが、「ほかに取りうる現実的な選択肢がないために、承諾せざるを得なかった隷属」であることが、コスタにはわかっていた。
1990年代初めのある夏の日、コスタがタイで休暇を楽しんでいた時のことだ。滞在先近くのジーンズ縫製工場で夜遅くに火事が起き、深夜シフトで働いていたほぼ全員の命が奪われた。大量の犠牲者が出た原因は、彼らがせっせと働いているあいだ、警備費を節約するために、経営者が工場に鍵を掛けていたからだった。その労働条件を記した同意書に、犠牲者がみな署名していたと知って、コスタは震え上がった。

この恐ろしい一件によってコスタは、賃金労働が一種の服従だという考えをより強くした。主人が奴隷をどれほど大切に扱おうと、人間による別の人間の所有は許されない。それと同じように、賃金や労働条件がどうであれ、自由のない、不正な契約も許されるべきではない。
大衆を賃金制度から解放する方法を思い描けなかったコスタは、自分自身を解放する方法を、誰からの指示も受けずに働く方法を模索した。そして、2001年のドットコムバブルの崩壊と2008年の世界金融危機に乗じて、株とデリバティブを空売りし、みずからを解放した。ところが、そのためにコスタは代償を支払い、ある意味、みずからの魂を汚してしまった。コスタは自分を詐欺師のように感じて恥じ、その行為について頑なに口を閉ざした。だが、コスタはよく次のような替え歌を歌っていた。「誰かひとりが賃金労働をしていたら、私たちの誰も自由じゃない」その歌詞には、罪悪感から生まれた彼の心の痛みが強く滲み出ていた。