ベストセラー経済学者が描く、株式市場も強欲な大株主もいない世界

資本主義ヒエラルキーの権力こそ本当の敵だ

それなら資本を所有するのは誰なんだ?

ある時、コスティがコスタにいまでもグレゴリーと連絡を取り合っているのかと訊ねた。「グレゴリーが考えていた新しい企業のかたちが、別の世界で実現していることを、彼に知らせるべきじゃないか」コスティが言った。

そのすばらしいニュースをコスタもぜひ伝えたかったが、どちらも彼の居場所を突き止めることはできなかった。だがグレゴリーの反応を想像した時に、彼ならコスタに訊ねるに違いない質問が思い浮かび、自分もまだその答えを知らないことに気づいた。たとえば、1人1票制度が支える企業の所有構造はどうなっているのか。もし企業の資本を実際に所有する人間がいるとしたら、それは誰なのか。資金の所有だけではない。企業の評判についても、だ。その企業のブランドが、人びとの頭や心になにかを呼び覚ます力を持っているのは誰だろうか。また会社を辞めたり、パートナーシップを解消したりする時にはどうなるのか。

続々と届くコスティの答えは、簡潔だが興味深いものだった。たとえば、その企業で働く者でない限り、株は所有できない。まずは面接に合格して、全員参加の投票で採用を承認される必要がある。晴れて入社が認められた者には、1人1株が与えられる。特に評価の高い者はボーナスで報われるにしろ、1人1株以上が与えられるわけではない。演説のうまい議員が議会で存在感を放つように、評価の高い者も投票前の討論会で影響力を発揮するかもしれない。だからといって、1人1株1票の原則が揺らぐことはない。

その企業構造は経済界全体に広がって主流となり、既存の構造に取って代わり、徐々に証券取引所が消滅する事態を招いた。実際、2020年代初めには、証券取引所は経済的な重要性を失い、切手や暗号通貨の市場のようになっていた。つまり存在はする。だがあまり重要ではない。コスタの世界では、株は流動性が高く即座に取引可能であり、その所有者は他者が生産する将来の利益を請求できる。ところが、コスティの世界では株は参政権に近い。譲渡不可能で、企業の意思決定に対等の立場で参加する個人の権利を自動的に与えてくれるものだ。