ベストセラー経済学者が語る「銀行が必要なければ、資本主義もいらない」

資本主義の実態は空っぽの「架空資本」

傲慢な投資銀行は「宇宙の支配者」か?

組織の華やかな栄光に浴するのも、その凋落を深く恥じ入り身を隠すのも、昔から変わらない人間の性である。イヴァはリーマン・ショックの烙印を押され、スタンフォード大学で積み上げた社会資本のほとんどを使い果たしてしまった。

トム・ウルフは著書『虚栄の篝火』のなかで、傲慢な投資銀行家を「宇宙の支配者」と呼んだが、リーマン・ブラザーズの株価が暴落すると、イヴァは即座に宇宙の支配者から最下層民へと転落した。そしてまた、不愉快ではあるにせよ、お互いを数値化してランク付けする傾向も人間の性である。コスタの世界では、常に流動的であっても、お互いを数値化してランク付けする数字はただひとつ、企業の株価だけであるのに対して、株価のないコスティの世界でその空白を埋めるのが、市民陪審による社会的格付けだった。

コスティの報告によれば、彼の会社の社会的格付けはコスティ本人にも影響を及ぼすという。仕事面でいえば、協業や取引交渉に入る前に、まずはお互いの会社の社会的格付けを確認する。社会的格付けは必然的に個人の領域にも入り込み、もっと気軽なかたちでも使われる。オンラインで商品のカスタマーレビューを読んだり、映画の評判を確かめたりするのと変わらない。

もっと重要なのは、コスティが転職する時だろう。コスティの採用を審査する者は、彼の個人的記録だけでなく、もとの会社の社会的地位も詳しく調べる。もちろん、最初に調べるのはコスティの個人的記録だ。それには同僚からの投票記録、つまり同僚が長年、彼に付与してきた報奨ポイントも含まれる。だが雇用委員会は、より広い地域社会がその企業に与えた集団的評価にも詳しく目を通す。ちょうど学生が、大学のランキング表をじっくり調べて、特定の学部の評判を知ろうとするようなものだ。

コスタにはそのメリットがわからないわけではなかったが、嫌悪感を覚えずにはいられなかった。人びとを数字に変えてしまうのは、おぞましいことだ。人間性を破壊する確実な方法とは、人間を数字に置き換えることだ。それこそまさに、資本主義がしてきたことではないか。あらゆる価値を価格で表し、あらゆる交換を取引に変え、あらゆる計算不可能な美を、測定可能な欲望の対象に変換することは。そのような理想主義にもかかわらず、コスタは技術的に進化した民主的な大規模経済が、共同体のようには運営できないことも理解した。やはり数字は必要なのだ。数量化は避けられない。

「どうせ人間を数字に変えてしまうのなら、民主的に決定するシステムを築いたほうがいい」それがコスタの意見だった。