FRaU
星稜高校時代、日本中を釘付けにしたバッティング。『ひでさん〈松井秀喜ができたわけ〉』より

迷っていたけれど……松井秀喜が星稜高校への進学を決めたワケ

松井秀喜ができたわけ⑥新たな可能性

先日の台風の影響により放送が見送りとなっていた大人気テレビ番組『とんねるずのスポーツ王は俺だ!!』(テレビ朝日)が今夜11月10日(日)の21:00~放送されることとなった。毎年恒例となっている番組企画である、石橋貴明氏率いる‟チーム石橋”と松井秀喜氏率いる‟チーム松井”の野球対決を楽しみにしていた人も多いのではないだろうか。

昨年の放送に引き続き、松井氏は母校の星稜高校のユニフォームに身を包んでの参戦とのことだが、今回FRaU WEBでは、そんな松井氏の高校生時代のエピソードを、幼少期から読売ジャイアンツに入団するまでの道のりが綴られた講談社文庫『ひでさん〈松井秀喜ができたわけ〉』より抜粋掲載し紹介しようと思う。

星稜高校への進路選択の決め手とは一体何だったのだろうか? 当時の野球部監督が松井氏との握手で感じた、「新たな可能性」とは?


今までの連載はこちら

-AD-

進路選択に揺れる心

迷っていた。小松明峰か星稜か。

高校の進路について中学2年までは、家から自転車で20分ぐらいの所にある石川県立小松明峰高校に行きたいと思っていた。目標である兄の利喜も小松明峰に進んでいた。さらに秀喜が住んでいる根上町は南加賀と呼ばれていて、「小松明峰に行って星稜を倒そう」と、金沢に対抗意識を燃やしていた。

そして星稜はいわゆる石川県の巨人軍のような存在。阪神ファンの秀喜は、「家から通学に1時間もかかる星稜に行ってまで、がつがつやらなくたっていいんじゃないかな。それに星稜を倒せば、甲子園に出られるんでしょ」と強気だった。

――慶應大学に進んで、六大学野球をやりたい。

という気持ちが強かった。しかし星稜高校から熱心に接触される度に心が揺れ、星稜に気持ちが傾いていっているのは確かだった。

Photo by iStock

星稜高校の野球部監督、山下智茂は、コーチの高桑が教え子ということもあって、たまたま根上中野球部の練習を見に来ていたその時のこと。キャッチャーの秀喜が座ったまま2塁に投げた姿を見て驚いた。

――すごい肩、強いな。

高桑を呼んだ。
「お前のとこのセンターライン凄いな」
「監督! キャッチャーの松井は2年生ですよ」

とてつもない素質だ。山下は中学2年の秀喜をひと目見ただけで、目を離せなくなっていた。それで、高桑を通じて、「ぜひ星稜に来てほしい」と呼びかけることにした。

秀喜が出した結論は……

根上中学校のグラウンドのちょうどライト側にあるお店「焼肉ゆうちゃん」では、三者会談が行われていた。野球部長の松浦と監督の宮田、コーチの高桑である。話のテーマは秀喜の進路について

Photo by iStock

「あれだけの選手見たことあるか」
「石川県でプロで生きていけるゆうたら、あいつしかおらんやろ」
「中途半端は絶対にやめたほうがええ」
「金沢か星稜か甲子園に行けるところがええ」
3人の意見は一致した。

宮田は秀喜に言った。
「松ちゃんは将来絶対野球で生きていく人間や。中途半端は絶対にいかん。甲子園に行ける高校を選んだほうがいい」

ある意味ひとりの人生を決定しかねないこと。なかなか言えることではない。しかし全く迷いがなかった。3人共確かな気持ちを持っていた。

「大学で野球がしたいなら中途半端に勉強して大学をねらうより、野球一本に絞って野球の実力で行ったほうがいい。星稜だったら慶應に行って六大学野球をするにも申し分ない。二股かけるな」

と猛烈に星稜を勧めた。担任の井川も宮田に「松井君はいろいろなところから声がかかると思うけど野球で一番いいようにしてあげてね」と言っていた。

父・昌雄は、「甲子園に出る子は特別に野球の才能のある子だ。そんな簡単に野球だけでは生きていかれない。大学へ行って野球をやるという道もあるから進学率の高い小松明峰へ行ったほうがいいのではないか」

母・さえ子も「野球ではなくて勉強で高校に進んでほしい」と考えていた。

秀喜は悩んだ。しかし慶應大学に行って六大学野球をするには星稜で野球を極めるのが一番いいというアドバイスが決め手となり、自分で判断した。

「星稜にします」

秀喜が出した結論は昌雄とさえ子が考えるものとは違っていた。
 

-AD-


星稜高校野球部監督の山下は秀喜が星稜に決めたと聞き松井家を訪問した。

「星稜で野球をやらせたいのですが監督さん、面倒みてもらえますか?」
昌雄の言葉に山下は感動していた。

「本当に僕に預けてくれるんですか」
「3年間監督に預けます。よろしくお願いします」
「わかりました。一人前にしてお返しします」


山下はその時秀喜の姿を見て実は少しショックを受けていた。野球の練習を休んで受験勉強をしていた秀喜は太っていたのだ。

「松井君、今度星稜に来る時は10キロ痩せてこいよ」
そう声をかけた。

‟手のひらの感触”に思わず……

3月、雪深い冬を越し、星稜高校のある金沢にも春が訪れようとしていた。ようやく待望のグラウンドでの練習が始まる。

Photo by iStock

「松井君、よく来てくれたね」

石川県内にある55の野球部の中でよく星稜高校野球部を選んでくれたという感謝の気持ちを込め、山下は右手を差し出して握手を求めた。

山下はそのとき手の平の感触に驚いた。言葉に詰まった。

――マメだらけ。血だらけ。がさがさ。手じゃない。まるで石ころを触っているようだ。この子、たった15歳で俺の言ったことで、これだけ努力してきてくれたのか。

咄嗟に涙をこらえることに必死になっていた。2ヵ月前、山下は秀喜に10キロ痩せるように言った。今、目の前にいる秀喜は確かに一回りほっそりしている。その努力の跡を、秀喜の手を実際に触った時に感じ取った。

この時山下は思った。
――この子をバッターに転向させたらおもしろい。

すべては握手の感動から始まった。

Photo by iStock
-AD-

根上中の卒業式が行われた翌日、星稜高校のグラウンドに集まるように号令がかかった。新しく星稜の野球部に入る生徒を集めて、マシーンを使って20球ずつバッティングを披露することになった。

野球部の先輩もじっと見つめる中、ほとんどの生徒が緊張もあって、ピッチャーゴロに終わった。ところが秀喜は20球のうち、8本をフェンス越えさせてしまったのだ。グラウンドはレフトとライトのフェンスまでが91.5メートル。センター122メートルという広さである。

「凄ーい」
「凄い奴が入ってきた」

他の選手や父兄にもいきなり力を見せ付ける格好となった。
一緒に行っていた高桑コーチも、「秀喜凄ーい」と珍しく褒めた。


秀喜は中学の野球部の活動が8月で終わった直後、父に頼んで硬式のボールを買ってもらって、家のいつも使っているマシーンで、練習をしていた。もう体が硬球の重さを覚えていた。

山下はそれまで秀喜の肩にほれ込んでいた。体の大きいこととキャッチャーとしての強い肩が印象に残っていた。実際高桑に、「凄く飛ばす子いますよ」と言われても、秀喜がバッティングでかっ飛ばしているところは見たことがなかった。見ると殆どが、真上に高く上がるキャッチャーフライだったのだ。それより何より、とにかく強肩に引き付けられていた。

しかし今日のマシーンでのバッティングを見て、握手をした時の予感は確信へと変わった。山下はこの段階で秀喜のレギュラー入りを決めた。

星稜入学試験での
秀喜の「ある成績」に注目

4月、山下はまず中学3年の時にピッチャーだった秀喜にピッチング練習をさせた。

「確かに速い」
しかし山下はこのとき、こう思った。

――バッターに専念させたい。

そして秀喜にこう告げた。
「松井。ピッチャーとして野球を続けていったのでは大学で終わるぞ」

そして秀喜はキャッチャーとして練習を始めた。
しかしレガースがなかった。秀喜の体があまりにも大きすぎてサイズのあうレガースがないのだ。特注にすると間に合わない。山下は間もなく行われる北信越大会に秀喜をレギュラーで抜擢しようと考えていたのだ。しかも4番打者で

山下は、
「キャッチャーは負担も大きい。面を被るより、表に出て男らしく野球をやれ」
と伝えた。直感と閃きでそう判断した。

-AD-

そしてもうひとつ。星稜の入学試験での数学の好成績に注目していたのだ。バッティングの判断力は視力プラス思考力。計算の早さ、正確さがバッティングの読みにつながる。

「守備、どこがやりたい?」

秀喜は、
「サードがやりたいです」
と答えた。大ファンの掛布選手がサードだったことが理由の1つだが、

――ある意味、常に神経を尖らせていなければいけないポジション。ぼくみたいなのんびりした性格にはちょうどいい。

と思っていたのだ。しかし現在のキャプテンのポジションがサードだったために、一塁手に決まった。

山下は秀喜に、「一塁手は王だ。王になれ」と訴えた。

まさかの活躍に父・昌雄は……

6月、昌雄は秀喜と同じく根上中学から星稜高校に行った生徒の父兄と偶然に会った。

「松井さん、何しとん。秀喜どうなってるか知ってるか」
「1年やし、草むしりしてるわ」
「何言ってるんや。秀喜、4番打ってるよ」
「たまたまそういうこともあるよ」
「とにかく1回見に来て」
「しようがないなあ」

その日曜日は他校との練習試合が行われていた。午前9時頃、昌雄は星稜のグラウンドに向かった。近づくにつれ大歓声が聞こえる。歓声の中、アナウンスが聞こえてきた。

「4番ファースト松井君」

昌雄は、
――他にも松井君がいるのか。

と気楽に思っていた。秀喜だなんてまるで思っていない。ようやくグラウンドに着いて、大勢の人垣の中、覗き込んだ。すると、

-AD-

――秀喜や。

バットを片手に持ってバッターボックスに向かって歩いている秀喜の姿が目に飛び込んできた。

Photo by iStock

昌雄は驚きと同時に怖くなった。4番を打っているなんて夢にも思っていなかった。秀喜がいつも練習を終えて家に帰るのは夜の9時過ぎ。JR寺井駅まで車で迎えに行っていたが、全く野球部の話はしなかった。秀喜にとっては自分の話をするのはちょっと照れくさかったのだ。毎日、秀喜が聞くのは阪神の試合結果と飼い猫のナナのこと。昌雄もあえて野球部の話は聞かなかった。


次回は11月17日(日)に公開予定です。

『ひでさん〈松井秀喜ができたわけ〉』
松井秀喜。日本で知らない人はいない。それでは、彼は一体どのようにして野球選手としてだけではなく、一流の素晴らしい人物になったのだろうか。両親の育て方から、家族とのふれあい、学生時の交友関係、そして初恋まで……彼の秘密と魅力が満載。幼少期の貴重な写真やNYでのインタビューも収録。 その中から厳選したエピソードを特別に今後も限定公開予定。お楽しみに!

SHARE

AUTHOR

  • 赤木 ひろこ

    作家

    赤木 ひろこ

    フェリス女学院短期大学卒業後、NHK岡山放送局でキャスター・リポーターとして様々な番組に携わる。

    その後、フジテレビの情報、報道番組でリポーター、またスポーツ番組でキャスターを務め、

    現在、米国MLB取材など、数々の取材現場を経験し、大勢のインタビューをしている。

    この著者の記事一覧
S-TRIP サステナブルなまち、人を訪ね 暮らしを体感するマガジン
FRaU SDGs edu こどもプレゼンコンテスト2025